NO-MA ARCHIVE(ノマ アーカイヴ)

刊行物
2014.3
アール・ブリュット:共有された情熱

マルティーヌ・リュザルディ(パリ市立アル・サン・ピエール美術館ディレクター)

この文章は、『ボーダレス・アートミュージアムNO-MA 10年の軌跡』(2014年)に寄稿いただいたものです。肩書は執筆当時のまま掲載しています。

二〇世紀半ばにジャン・デュビュッフェが概念を定義して以降、アール・ブリュットの風は力強く、遠方にまで吹きわたった。かつてマージナルであったアートが、今や暗闇から姿を現し、熱烈な支持者を獲得し、評価が高まるにつれ専門に扱う人々、機会が増えつつある。アール・ブリュットに特化した展覧会、フェスティバル、出版、大学での研究、映画、ウェブ、シンジウムなどが増え、国際的な弾みと広がりを持った象にまでなったのだ。

日本に欧米のアール・ブリュットが紹介されたのは一九九三年。ロサンゼルス・カウンティー美術館の巡回展覧会「パラレル・ヴィジョン」が世田谷美術館(東京)などで開催された。これが起爆剤となり、ヨーロッパのコレクション(アール・ブリュット・コレクション[ローザンヌ]、メトロポール現代美術館アラシン・コレクション [リール]、ABCD[パリ]など)を紹介する展覧会やヘンリー・ダーガー、アロイーズなど古典アーティストの作品展がつぎつぎに開催された。

同時に障害者の社会参加促進を目的に一九九五年に生まれたエイブル・アート・ムーヴメントを中心に、知的障害者や彼らの通うアトリエによって創られた作品が日本中に知られるようになった。さらに一九九七年にアール・ブリュット・コレクションが開催した十一人の日本人作家の作品展によって、日本のアール・ブリュットがヨーロッパに知られることとなった。これをきっかけに二〇〇一年と二〇〇三年に日本の複数のアートギャラリーとカルフォルニア州オークランドの有名なアトリエ「クリエイティブ・グロース・アートセンター」との間に交流が生まれた。以来、アール・リュット関係者のあいだで東西の交流が続き、複数の日本人アーティストが欧米で知られるようになると同時に、日本でもアール・ブリュットの認知度が高まっている。

二〇〇四年、近江八幡に開館したボーダレス・アートミュージアムNO-MAは、アウトサイダー・アートに大きく開かれた美術館になることを方針として活動し、日本のアール・ブリュットの風景をすっかり塗りかえた。文化や歴史の枠、とくに正常とマージナリティーとを隔てる枠を超えようとする意志は、実り多い国際的なコラボレーションを生み出し、日本のアール・ブリュットが世界のアートシーン入りを果たすことを決定づけたと言える。二〇〇六年には日本人作家の作品がアール・ブリュット・コレクションに加わることとなったのだ。

アル・サン・ピエール美術館で二〇一〇年三月二五日から二〇一一年一月まで開催された『アール・ブリュット・ジャポネ展』はフランス国内ばかりか国際的にも大成功を収め、十万人近い入場者が訪れた。六十三作家の作品、千点近くを集めたこの展覧会はあらゆるメディアで賞賛された。またそれは同じ信念のもと、アール・ブリュットの文化的価値の確立を目指して活動する日仏二つの美術館の数年にわたる協働の結実でもあったのだ。その後オランダ、イギリスへ巡回、そしてアウトサイダー・アーティストがかつてなく多数参加した第五十五回ヴェネツィア・ビエンナーレにおける澤田真一氏の入賞は、アール・ブリュットの国際舞台における日本への評価を物語っている。

アル・サン・ピエールとNO-MAの展望は共に明るく、パートナーシップをより発展させ、アール・ブリュットの芸術的、社会的、マスコミ的、商品的な評価の高まりに伴って生じるさまざまな変化や問題に取り組む機会が数多く生まれるだろう。私たちが共に考えなければならない問題もある。もはやグローバル化は地理的、文化的な境界を消してしまった。アール・ブリュットやその関連分野もこの影響を免れず、数年前から、開かれた領域として絶えず進化してきた。

私たちは今後アール・ブリュットが進出してゆく新しい“領域”は何か、アール・ブリュットのアーティストの条件とは何かなどを探求し続けなければならない。しかし、その際の判断基準はあくまで芸術性であるべきだ。作品は、それがどのような生物学的、精神的、あるいは社会的条件を背景に生まれてきたのかを観る人に忘れさせ、限界を超えて、力強く自由に羽ばたくようになって初めて芸術になるのだから。

作家が個人的な才能のひらめきをもとに創作の衝動に駆られ、他人の評価を考えずただ自分のためだけに創ったアール・ブリュット。従来の美術作品とは本質的に異質なこれらの作品を展示する美術館のキュレーションの基準とは何かを考えなければならない。また美術館に展示されることで、これら作品のもつ差異が同化され、中和されてしまう危険を避け、逆にマージナルなアートを取りあげ、それによって既存のアートを揺さぶるような効果をもたらすにはどうすればいいのか。二十一世紀初頭、アール・ブリュットは新たな存在感と輝きをもつようになった。芸術の様式、流派あるいは画派ではないにもかかわらず、もはや美術史も無視できなくなりつつある。しかし、かつて創造を地理的、文化的に区分していた境界がなくなった今、アール・ブリュットと現代アートとを単に審美的に比べることは意味がないだろう。アール・ブリュットは現代アートに対立するアートではなく、まったく逆の面から現代アートと通じているアートなのだ。いまやアル・サン・ピエールとNO-MAは国境を超え、共に国際的に認められた美術館になった。両者は対話と経験の共有によって現代社会における自戒を込めた考察に貢献するだろう。この記念誌が、私たちのコラボレーションをアーティスト、哲学者、精神分析医、社会学者などに、そしてアール・ブリュットのメッセージを受け止める感性を持ち、素晴らしい可能性を感じさせてくれる議員や政治家らにまでも広げてくれることを期待している。

ヴェネツィア・ビエンナーレでの澤田真一氏作品展示のようす

出典:『ボーダレス・アートミュージアムNO-MA 10年の軌跡』(2014年3月31日発行)
「平成25年度アール・ブリュット推進事業費補助金」助成事業

マルティーヌ・リュザルディ Martine Lusardy
アール・ブリュット、アウトサイダー・アート、フォークアート分野のリーダーとして50以上の展覧会でキュレーターを務め、また数多くの図録出版も手がけている。1994年よりパリ市立アル・サン・ピエール美術館(フランス)のディレクター。
(プロフィールは執筆当時のまま掲載しています)

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