作品調査
井上 健太郎INOUE Kentaro
1986年生まれ 宮崎県在住
※以下の文章は、「滋賀県アール・ブリュット全国作品調査研究」令和3年度報告書から抜粋したものです。
井上は日中、福祉サービス事業所に通所している。調理実習や学習の時間など様々なプログラムが用意されているが、参加するかどうかは本人の意思によって決定されるため、井上は参加しないと決めた時間に自身のデスクで作品制作に取り組む。
1枚の画用紙に1か月ほど、気の向いたときに制作に取り組む。描かれるものの輪郭はほぼ無く、色の面の組み合わせによって一つのモチーフが構成される作風である。筆者が以前に調査に伺った日は、若山牧水(歌人・井上の在住する宮崎県日向市の出身)を描いた作品に取り組んでいた。まゆげの部分に何度もクレパスを往復させ、その面を指でなぞることで、面が摩擦し、絵肌の深みは増していた。
井上の描く絵画には、圧倒的に人物が多い。顕著にそれが現れたのは、小学校の高学年のころだった。小学校4年生のときの井上の絵には、理容室での理容師と客人の様子が描かれている。手前には複数のブラシがそれぞれ特徴を捉えて描かれており、背後には無数のヘアケアグッズがずらりと連なっている。小学校5年生のときの、自身の頭部にヘアピンをびっしりと付けたり、自身の顎まわりにセロテープを貼りめぐらせた写真が残っている。人の顔の形や髪型への強い関心が窺える。さらに、子どものころは中華料理屋さんになりたかったくらい食べ物(食事)に関心があったため、ときに食べ物もモチーフとして現れる。
今回、筆者が調査に伺った日に完成したちぎり絵「松浦くんと桐恵さんと藤原くん」は、井上の人物表現の特徴が明確に現れている。モチーフとなるものが人物単体の場合、比較的その形は実物に近い。作品によっては、まるで魚眼レンズ越しのような構図が特徴である。一方で、このちぎり絵のようにモチーフが群像になると、デフォルメが激しくなる傾向にある。輪郭が不明瞭で、画中に何人の人がいるのかが分かりにくいが、人物の唇を赤く描く傾向にあるため、それを目印に人物の輪郭をある程度推測すると、中心に置かれた人物の周辺に、複数の小さな人物が配置されていることに気が付く。他にも例えば「男子生徒」では、頭髪・まゆげ・鼻の穴が水色をした男性の背景に、5人の人物が溶け込むように存在することが見てとれる。
また、その日同時並行で取り組んでいた「ピンクパンサー」によって、制作の経過を把握できる。鉛筆でモチーフの輪郭を書き込み、さらに画面のなかに漢字やカタカナの文字を点在させるように記している。その経過を意識して、すでに完成している作品を再度確認すると、強い筆致で塗られた色面の下の層に、下書きの際に描かれた鉛筆での線や文字の跡がうっすらと残っている。それが画面の密度を上げ、躍動感をもたらしている。
調査の日、井上は怪訝な面持ちで筆者と会い、率直に疑問を投げかけるようにして話しかけてきた。作品も、画面の向こうの世界から、同じように問いかけてくる。真実を見抜くかのように、こちらの世界をじっとのぞき込んでいる。井上の作品は、緊張感が漂い蠱惑的である。(青井美保/高鍋町美術館学芸員)