作品調査
清水 ちはるSHIMIZU Chiharu
1994年生まれ 宮城県在住
※以下の文章は、「滋賀県アール・ブリュット全国作品調査研究」令和3年度報告書から抜粋したものです。
清水ちはる(以下、ちはる)はこれまで特徴的な「丸文字」の表現がよく紹介されてきた(平成29年度に当事業でも調査実施)が、本稿では彼女が自宅で続ける行為について報告する。
父母娘の3人が住む清水家は、一人娘ちはるが並べるモノの数々で、埋め尽くされている。ちはるが並べるのは、①「短冊状に裁断したチラシ(以下、『短冊』)を丸めて詰めた段ボール製の『小箱』」(図1~3)②市販の「指人形」、③「短冊」を挟んだ「クリアファイル」の3つである。他にもいくつかあるが、本稿では主要な3つの紹介に留める。
最も多いのは①「『短冊』詰め『小箱』」で、これらは彼女が非常に慣れたハサミ使いで量産するものである。自作せずに既存の菓子箱を「短冊」の入れ物にしたものもある。内壁を覆いつくし、床にまで溢れ、僅かな隙間にもひしめくそれらはさながら清水家の細胞だ。
②、③は、主にリビングで展開されている。図4から「小箱」とともに規則的に並んだ、様々なキャラクターの指人形を確認できる。棚から天井にかけて積層されているのは、大量の「『短冊』を挟んだ『クリアファイル』」である。
週末、母と町に出かけるのが決まりだ。図書館などで「チラシ」を、スーパーで「お菓子(目的は箱)」や「指人形」を購入(母と相談の上、購入個数に制限がある)し、いわば「素材」を集めにいく。自宅で、配列に取り掛かるが、もはや清水家には文字通り「余地」がない。そのため、ちはるは、モノとモノの間を詰めたり、簡易的な棚を増設してもらったりすることで、スペースを生み出し続けている。そのため、清水家は日に日に密度を増す。また、彼女はそれぞれなにがどこにあるかを把握していて、次なるモノの配置場所について常日頃から考えを巡らせているのだという。
もともと、ちはるの関心は、紙を切る行為にあったようだ。東日本大震災時に、切った紙を保管していたケースが落下し、中身が床にばらばらになってしまったので、母が蓋付の衣装ケースを購入した。この出来事が、彼女が「紙を切ること」に続いて「紙を収納すること」に関心を寄せる契機となった。はじめはケースの購入に執着したとのことだが、いつの間にか自作の「小箱」が「短冊」を収納する入れ物にとなり、所せましと並べられ、現在の状態へと至った。「震災後、10年かけてここまできた」と母は語る。現在は、もはや置く余地がないことから「小箱」並べは落ち着いており、「指人形」並べ、「短冊」づくり、「クリアファイル」積層が中心的な活動である(過去の調査で取り上げられた「丸文字」書きも、現在まで続く日常的な表現の一つだ)。
ちはるのこれらの表現を本稿では「世界の再秩序」と「運用」と考えたい。町での素材集め、短冊や小箱への加工とその配列――ここには外界を自らの「秩序」に改めて置き換えていくような思考が感じられる。さらに彼女は、配置関係を頭に入れ、どこかが崩れては修復し、毎週増殖するモノを取り込み続けるため、常に配置プランを更新し続けている。これは「運用」である。あるいは、表現が展開される「自宅」という、その場所性も重要である。最も過ごす時間が長い私的空間でありつつ、父と母との共有空間でもある自宅は、ちはるの内的/外的世界の狭間となっているのではないだろうか。
外的世界を蒐集し、再秩序化し、半ば内的な自宅空間に家族ともども組み込んで、それを運営する――この意味では、清水家内はちはるの「内的世界の現前」あるいは「空間化された思索」といえる。
他方、この10年を両親側の視点から見れば、生活空間の急激な矮小化でもある。ちはるの表現行為を見守りつつ、「並べるのはここまで」と区切るためのマスキングテープを貼ったり、増えすぎたモノを処分するなど、居住性を担保するための押し引きもある。だが母は「並べているとき、ちはるはとっても幸せそう」と語り、父は持ち前の器用さを活かし棚づくりなどに協力する。ちはるの驚異的な空間的思索の傍らに、家族の存在があり、ちはるの秩序を内的にも外的にも支えていることも忘れてはならない。(山田創/ボーダレス・アートミュージアムNO-MA学芸員【執筆当時】) 作家一覧