
作品調査
向野 浩平MUKAINO Kohei
1997年生まれ 石川県在住
※以下の文章は、「滋賀県アール・ブリュット全国作品調査研究」令和6年度報告書から抜粋したものです。
向野浩平は月に2度開かれる金沢アート工房のワークショップで創作に取り組んでいる。14人の女性がバイオリンを持って行儀よく並ぶ作品は、彼が尊敬するバイオリニストが結成したグループを描いたものだ。スケッチブックのほとんどを占めているのは歴史上の音楽家、作曲家、美術家などの肖像。それらの背景には、模様のように遺跡、建築、本、時計、楽器などが描かれる。12色の色鉛筆に強弱をつけて塗ることで微妙な調子を作り、時には唾で線をずらしたり、折れた芯を指で押さえて擦り伸ばしつけたりなど、本人なりの工夫を用いながら画面が仕上がっていく。
弾くことと描くこと
彼の描画は、小学2年生から今現在も夢中で取り組んでいるバイオリン演奏やピアノ演奏を通して得た知識や経験が基になっている。CMで演奏するバイオリニストの姿を見て一気に熱烈なファンになった彼は、小学校の先生に紹介されたバイオリン教室に通い始めた。ある時はアニメの登場人物がバイオリンを作る姿を見て、ダンボールでお手製のバイオリンを作って弾いてみたことがあった。しかし、思うような音が鳴らず不安定になってしまい、両親が準備したバイオリン作成キットであらためて自分用を作り、平穏を得たことがあった。バイオリン演奏に必要な音楽の基礎的なことを習得するために、ピアノ教室にも通い始めた。耳で聞いて弾くことから、楽譜を読んで弾くことを目標に新たな生活パターンが築かれていき、彼も夢中で練習に取り組んだ。
両親は、自閉傾向の強い彼の生活がさらに豊かになるようにと工房に参加し、趣味としてのアートを行うことにした。それまでは落書きのような絵しか描いたことがなかったが、すぐに工房の空気になじみ、描画を楽しむようになった。インターネットで調べた題材を、活動日に思い出して描く。時々背景が真っ白のまま保管されていて、それで完成かと思っていたら、1か月後ぐらいに突如背景を描き始めることもあり、描画が彼独特の時間軸で描かれていることがわかる。演奏の時のように指導や助言に傾きがちだった両親は、工房主宰者の「好きなように描かせてください」との助言を大切にし、静かに見守るようになった。
彼は演奏会が近かったり、思うようにいかなかったりした時など、不安定になることが多いが、絵を描く時はその様にはならない。描画は気持ちをリセットしてくれる。弾くことと描くことが補完関係にあるのだ。
補完し合う自己表現
作品の個性や驚きを窓口として語られることが多い障害者アートでは、やむにやまれずといった、こだわりや衝動によって独特の表現を行う作家が珍しくない。その一方で、向野のように生き甲斐を補助する二次的な役割として美術活動を行い、ライフワークの背景要素として美術が語られる表現者も少なからずいるだろう。障害者アートにとって、向野の取り組みは、障害者の人生における芸術の役割について、より自由でゆるやかな視点を与えてくれる。(米田昌功/アートNPO工房COCOPELLI代表)