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作品調査

淵上 雅昭FUCHIGAMI Masaaki

1975年生まれ 宮崎県在住

図1 《ユニフォーム》

2013年~ 段ボール、水性ペン 左から28×32、21×31、27×31、21×37、27×31

図2 《女性》

2021年頃 54×38 画用紙、クレパス

図3-1 無題

2021年頃 34×52 ベニヤ板、水性ペン

図3-2 《プロ野球巨人》

2021年頃 56×64 段ボール、アクリル絵具

図4 《中原さん》 

2021年頃 54×38 画用紙、水性ペン

図5 《女性とボーリング》

2021年頃 206×76 段ボール、ペンキ、水性ペン

図6 無題

雑誌、新聞紙、透明テープ、水性ペン  (上)23×31×23 (右下)26×35×12 (左下)26×22×14

※以下の文章は、「滋賀県アール・ブリュット全国作品調査研究」令和5年度報告書から抜粋したものです。

 淵上は、毎日規則正しい生活を送っている。服を着替えて、朝食をとり、体操をし、日中は屋外での農耕や施設内にある窯業棟で時間を過ごす。窯業棟では、宮崎県日南市にある鵜戸神宮にて参拝者が海に投げ入れる運玉(球状の粘土を素焼きしたもの)の製作を中心に取り組む。1981年につよし学園へ入所した淵上は、粘土や画用紙、新聞紙を用いた作品制作に取り組んできた。
 2013年に広島旅行で野球の試合を観戦し、広島東洋カープのユニフォームを購入した。この頃から架空の野球チームのユニフォームをイメージした絵を描き始める(図1)。また、読売ジャイアンツのGマークを繰り返し描いている。これには読売ジャイアンツが長年宮崎県でキャンプを実施している背景との関連性が見られる。
 2019年から女性の裸体を描いた絵に取り組み始める。1枚の絵を、女性職員へプレゼントしたことが発端だった。その後、ほぼ同じ構図(図2)の絵を繰り返し描き続ける。髪の毛は中央で分けられ、肩の上までの長さ。少し伏せたようにこちらを見つめ微笑む。輪郭が長方形の身体、アイコンのように図形化された乳房・へそ・ショーツ、スリッパのような履き物が必ず描かれる。これまで描いた枚数は、下書きを含めると100枚を越える。なかには、アイコンだけを描いたもの(図3)や、入院や死去を理由に施設からいなくなった女性の入所者の名前が書かれた作品がある(図4)。文字を形として認識しているのか、絵のなかに文字を書く際には、一部が増えたり欠けたりする文字(例:ジュース→シース)や、単語の一部が欠けた文字(例:クリスマス→リスマス)が見てとれる。
 淵上の作品には共に生活する、ある入所者の文字が度々登場する(図5)。松山大樹(1974年生まれ)である。日常生活で同じ場所にいる機会の少ない二人だが、大きな紙に絵を描き始める淵上の様子に松山が遭遇すると、松山もまたその紙に文字を書き始める。不思議と二人が占有したり争ったりすることはなく、会話を交わさぬまま、一枚の紙に淵上が絵を描き、同時に松山が文字を書く。それは、互いのことにまったく無関心のようで、互いのすべてを受け入れ合っているようでもある。これほどまでに自然発生的に合作が生まれる瞬間は、極めて稀ではないだろうか。
 また、今回の調査で確認されたカラーペンで着色された立体作品(図6)は、想定外の発見であった。淵上はこれまで新聞を用いてバッグやコップを作成しており、それが展開したものである。雑誌を新聞紙で覆い、透明テープで固めたのちに、ブロック分けしながらカラーペンで着色している。土台は立方体、その上は円柱状のフォルムの組み合わせが多いが、それがなにを表し、どんなイメージを追っているかは不明である。これらの作品は、プリミティヴィズムやキュビズムを想起させるが、淵上はそうした文脈とはまったく無縁の場所で生活をしている。人間が美術と共に歩んできた道のりをおのずと辿るように、ひっそりと生まれている。(青井美保/高鍋町美術館学芸員)

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