作品調査
藤本 正人FUJIMOTO Masato
1967年生まれ 愛知県在住
※以下の文章は、「滋賀県アール・ブリュット全国作品調査研究」令和2年度報告書から抜粋したものです。
藤本正人は、糸の先にケースに入ったカセットテープ(以下、カセット)をつり下げ、糸を親指と中指で挟んで持ち、そして、カセット部分をくるくると回したり、振り子のように揺らしたりという行為をくり返す。彼は、日中の多くの時間を、カセットを眺めて過ごしている。
彼の通う障害者福祉施設のさふらん生活園の支援者らによると、この行為は40年以上続いている。藤本の集中力は非常に高く、周りで別の利用者たちが騒がしくしていても、全く意に介さない。この時の彼は「そんきょ」の姿勢をとることが多い。何にも惑わされずカセットを凝視する藤本は、静謐さをまとっている。その様子は、まるで、彼の主観世界には自身とカセットの二者の関係しか存在しないのではないかと思わせる(しかし、実はそうではないということが、この行為の背景を知るとわかってくる)。
藤本による行為を3つの要素に分類して考えてみたいと思う。一つ目の要素は「バランス」である。幼少期より彼の関心事は、バランスを取ることにあった。長い定規を指の腹の上にのせ、やじろべえのように落ちないようバランスを取ったり、けん玉の糸の部分をつまんで持ち、玉と持ち手が同じ高さに来るよう調節するなどの行為にこだわりがあったという。
バランスに対する藤本のこだわりは、カセットを巡る行為にも反映されている。カセットと糸は輪ゴムで固定されているのだが、(輪ゴムに糸が括り付けてあり、その輪ゴムでカセットに固定している)カセットが斜めに傾かないように、彼は輪ゴムを中心にかけることに強いこだわりがある。カセットが傾いていると、彼はたちどころにカセットから糸を外してしまう。ときには、これに加えてケースからカセットを取り出すこともある。
二つ目は、「カセット自体への思い入れ」である。支援者らによると、藤本は父と音楽を聞くのが好きで、カセットは、元々音楽を聴く本来の用途で使われていた。そして、音楽を聴く習慣とともに、カセットやそれを再生するデッキといった物自体へのこだわりも持っていた。しかし父も他界し、また時代の移り変わりによりデッキが流通しなくなっていく。藤本の元には大量のカセットだけが残った。そんな折、藤本の母がカセットを輪ゴムで留め、糸で吊り下げて、彼に渡してみた。前述した「バランス」への関心があったからこそ生まれたアイディアだったが、藤本の中でバランスとカセットの2つが、かちりと合ったのだろう。以後、40年に渡り、この行為が続けられることになる。
三つ目の要素は、「コミュニケーション」である。カセットのセンターが上手にとれていないとき、彼は糸を外すと書いたが、この糸を藤本が自分自身で付け直すことはない。またケースからカセットを抜いたときも、自分では直さない。必ず、誰かに直すことをお願いするのである。その役割を担うのは、支援者や同じ施設の利用者である。支援者が相方とすら呼ぶ関係性の「たくじさん」という利用者が、この役を担うことが最も多いようだ。あまりにもこのお願いが繰り返されるので、たくじさんも嫌な顔をしながら、紐を直してあげることもあるという。
他方、支援者によると、このこと以外で藤本から他者に向けてアクションを起こすことはほとんどないという。彼にとって、紐の付け直しをお願いすることは、他者とコミュニケーションを図る唯一の方法になっていると考えられる。取材時、藤本は何度もカセットテープと紐を分解し、それをこちらに渡して、付け直すことを求めた。
一連の動き――カセットと紐を外す→誰かに渡して組み立ててもらう→センターを合わせて、揺らしたり回したりする――は長い年月繰り返される中で洗練され、無駄な動きがなく、もはや所作や作法というべき奥ゆかしさがある。また、支援者と彼の行為について議論するうちに、言葉を持たない藤本にとって、カセットを巡る一連は言語に取って代わるものではないかという仮説が立てられた。自らのことを表現し、同時に、他者と繋がりあう方法であるこの行為は、確かに言語らしきものとして藤本とともにあるといえるだろう。(山田 創/ボーダレス・アートミュージアムNO-MA学芸員【執筆当時】)