作品調査
平田 猛HIRATA Takeshi
1936-2021年 京都府
※以下の文章は、「滋賀県アール・ブリュット全国作品調査研究」令和5年度報告書から抜粋したものです。
平田はスケッチブックと色鉛筆を使い、自身の病室のベッドの上で長年絵を描き続けた。彼が暮らしていた京都市内にある川越病院の職員の記録によると、病院で初めて描いたのは1972年。問診時に医師が持っていたカルテに魚の絵を描いたという。ただし、精力的に描いていた時期については、当時を知るスタッフがいなくなってしまったこと、平田本人が話さなかったこともあり、わかってはいない。現存する作品は、2021年に亡くなるまでの約5年間で描かれたものだ。それでもこの短い期間のなかで、実に100冊以上のスケッチブックを描き遺している。
画中には、食べ物や錠剤、紐、動物などが繰り返し登場する。晩年は人体、テレビに映る映像、病室の窓の絵も描いた。いずれも簡略化した形で表し、輪郭の内側をぐるぐると弧を描くような線で埋めていくのが特徴だ。その筆致を見ると、比較的早い手の動きで制作しているように感じられるが、実際にはゆっくりとしたスピードで少しずつ線を重ねていたそうだ。
類似する複数の図と単語で構成したものも多い。丸が連なった四角い枠を規則的に並べ、それぞれの横に「タマゴ」「クスリ」などと記した絵などは、特に何度も描いている。連続する図は、色や形にちょっとした描きわけが見られるが、それだけでは何の絵かはかわからず、記された単語が対象を判別する手がかりになる(判読できない文字も多い)。またよく見ると、豚を「プタ」、テレビを「テレピ」と記すなど、単語を誤表記していることがわかる。ごくまれに正しい表記も見受けられるため、わざと書き間違えている可能性がある。もしかしたら、それらの絵は平田にとって、連想ゲームや言葉遊びのようなものの延長線上にあったのかもしれない。
他方、人体をモチーフとした作品は、その他の作品と比べて描写が細かい。他の作品は簡潔な形で表現するのに対し、人体像は体の内部構造まで描いている。首の根本から下方にかけて伸びる線は背骨だろうか。だとすると、交差する横の線は肋骨、それと重なる円は主要な内臓に見えてくる。その他にも体全体をめぐる血管を思わせる棒状のラインや、下腹部には男性器のような形も独特なタッチで描いている。また、人体像の周囲にも単語を記す。ここでも判読できない文字が多いが、「日本 京都」や「平田猛 哲学者 作」などが確認できる。
人体像を描き始めたのは2016年で、それは彼が手術するため別の病院に入院した時期と重なる。その際、院内に貼ってあった人体の解剖図が強く印象に残り描き始めたのではないかと職員は語る。「平田猛 作」とサインするのは、人体の絵に限られるようだ。前述のモチーフを並べる作品がゲームの延長によるものだとすると、人体の絵からは「描く」ことへの意識の高まりが感じられる。
平田の作品が世に知られるようになったのは、2016年の公募展「第22回 京都とっておきの芸術祭」での出品がきっかけであった(初出品は2010年)。それは、京都市内にart space co-jinが設立され、発表機会が広がったことも呼び水になっている。きっと当時80歳を迎えた平田としても大きな出来事だっただろう。その後、亡くなるまでの4年間のなかで、「描き、紡ぎ、絆ぐ|京都・パリ友情盟約締結60周年記念展覧会」※1や、「描くこと|平田猛 展」※2など、平田の作品はいくつもの展覧会で集中的に紹介された。(横井悠/ボーダレス・アートミュージアムNO-MA学芸員【執筆当時】)
※1 主催:京都市 / 会場:ARTZONE + MEDIA SHOP gallery /京都府 / 2018年
※2 主催:きょうと障害者文化芸術推進機構 / 会場:art space co-jin /京都府 / 2019年