作品調査
宮井 英寿MIYAI Hidetoshi
1998年生まれ 和歌山県在住
※以下の文章は、「滋賀県アール・ブリュット全国作品調査研究」令和4年度報告書から抜粋したものです。
世界観を顕わす
宮井英寿さんは、日々のくらしに、心おきなくいそしむ。その中から作品は生まれてくる。生まれてくるもののごく一部を、わたしたちは作品と呼ぶが、その他にもさまざまなものを生み出してきた。毎日通う作業所では、仲間といっしょに机を囲んで、ペットフードの袋詰めをしている(図5)。この作業にも、英寿さんは、心おきなくいそしみ、製品を生み出す。
幼いころから手先が器用で、絵を描くことや工作をすることが好きだ。3,4歳のころにはハサミを使い、4,5歳から絵を描いてきた。英寿さんは、男の子だけの4人兄弟の3番目。お母さんは、看護師さん。エネルギー溢れる4人の男の子を、看護師さんをしながら育てるのは、なかなかの離れ業であったに違いない。もちろん、お父さんの協力もあった。英寿さんは、信号機、交通標識、高速道路が大好きだ。お父さんは、しばしば、英寿さんたちを車に乗せて遠出する。2022年3月、英寿さんの作品が滋賀県近江八幡にあるNO-MAで展示された時も、お父さんの運転で見に行った。英寿さんは地図が好きなので、目的地の位置や自宅からの道路、とくに高速道路を思い描く。信号機が好きなのは、光るものが好きなこと、信号の光が車の流れを制御していることと大いに関係している。幼い時には信号機の絵をたくさん描いた。大好きな高速道路の料金所のみごとな模型も紙でやまほど作った。学生だった頃はコ-スター大のユニークな道路標識を作っている(図1)。こうして、独自の世界観を顕してきた。6歳の時には自転車に乗れるようになり、風をきって世界を広げた。小学校1年生の時、先生が桃太郎のお話をすると、たちどころにその物語世界を絵にして、周りの人たちを驚かせた。小学校高学年のときに、母方父方両方の祖父を立て続けに亡くし葬儀を経験すると、霊柩車とその後に従う親族一同が乗るバスを紙で制作した。霊柩車には棺が納められており、バスには何人もの親族たちが乗っているという精巧なつくりで、霊柩車にもバスにも翼がついていた。このように物語世界や目に見えない世界を表す作品も作ってきた。小学校6年生ごろに学校でコンピュータの使い方を習うと、2日で習得し、それ以来、ヴァーチャルな世界も自由に探索するようになった。
作品調査をするにあたって私の目を惹きつけたのは、力強くて繊細な線と微妙なぼかしで描かれた何枚かのモノクロ画だ(図2,3,4)。これらは、ご両親が仕事に出かけた後、英寿さんの支度を手伝い作業所のバスへと送り出すサービスをしてきた、フットワークの軽い隣人が経営するヘルパーステーションで過ごす隙間時間に、シャープペンシルで描かれた。ぼかしは、シャーペンの芯を折ってかみ砕いた唾液を使う技法によっている。見慣れたものを独自の視点で捉え、紙とシャーペンの芯という「もの世界の探索」の痕跡を印している。
2022年4月から英寿さんは、絵画教室にも通うようになり、お母さん考案の空き缶植木鉢の制作もしている(図6)。耕作放棄地で仲間たちと野菜をつくるという計画もある。こうして生み出されるさまざまなものの一部を作品として切り取る意味はなんだろう。それは、展覧会を観に行ったお母さんの次の言葉に暗示されている。「作品だけでなく、世界観を知ってもらえればと思います。自分の子どもの作品ということだけでなく、最初はよくわからない作品を芸術としてみることにより、その世界観が分かることは、衝撃でした」(青木 惠理子/龍谷大学名誉教授)