作品調査
中谷 稔 NAKAYA Minoru
1952年生まれ 富山県在住
※以下の文章は、「滋賀県アール・ブリュット全国作品調査研究」令和4年度報告書から抜粋したものです。
中谷稔は富山県東部のグループホームで生活しながら創作に打ち込む作家である。オイルパステルの色が重層的に響きあう人物画はどことなくユーモラスで優しさが沁み込んでくる。絵を描くこととカラオケが大好きな人懐っこい好々爺である。今まで描いた絵は全部好きと言うが、周囲に言わせると出来上がった作品には興味がなくほったらかしで、突然、昔の作品を引っ張り出して額から出し、くしゃくしゃにしたり、捨てたりすることがあるので、保管には格別の配慮が必要なのだそうだ。
そんな中谷の創作を支えてきたのは、彼が1998年から25年通っている絵画教室である。教室を主宰する日本画家の清河恵美は日本画手法でありながら斬新でどこにもない画風を確立した現代アーティストとしても認知されている。中谷との出会いは、事業所職員からの相談がきっかけだった。「いつも広告の裏や小さい紙に鉛筆やマジックで落書きをしている利用者がいて、味わいのある絵を描くので、色の使い方も知って、趣味としての絵画活動を充実させてあげたい。」聞けば清河と同世代。それならばと、自身が主宰する絵画教室で受け入れることにした。事業所も家族も協力的であった。清河は彼のペースや個性を尊重し、相性の良い画材を使うことと、のびのびと描ける環境を作ることに配慮した。色数が増え、大きな紙にも描くようになった。やがて、作品の魅力をより多くの人に知ってほしいと初個展が企画された。個展は予想以上の反響で、何人もの作品購入の希望があったため、家族や事業所に承諾を得て販売することにした。盛況のうちに終了した個展であったのだが、その趣旨や販売についての心無い言葉や心配の声がどこからか聞こえてきて、それに耐えかねた家族からの申し出もあり、結局、作品を購入してくれた方の家を一軒一軒周り、事情を伝えて買い戻した。田舎での障害のある人の文化活動の難しさを感じるやや後味の悪い結果となった。それ以来、発表活動はやや控えるようにしたが、本人の創作姿勢が変わらなかったことが救いであった。
しばらくはそのような状況が続いたが、清河は同じ県内で活動する日本画家が既にNPOを拠点とする障害のある人のアート支援に取り組んでいることを知り、世間の風向きが変わってきたことを感じ、再び積極的に作品を発表するようになった。2019年には、支援団体が主催する展覧会で県外の代表的作家と共に県内作家の1人として紹介された。 慎重だった事業所もこの流れを応援するようになり、本人と社会との接点が増えることを誰もが喜んだ。受賞した県外の公募展を事業所職員と一緒に見に行ったり、県内の一般公募展での受賞で注目されたりと、活動に今までにない広がりが出てきた。
清河は「これまで障害者の作品にはずっと光が当たらなかった。でも共生社会という言葉が生まれ、気兼ねなく発表できるようになった。初個展は残念ではあったが、今にして思えばあの時に作品が手元に残り、その後の発表や活躍につながったので、ありがたく感じる。」と話す。
現在、県内の文化振興財団が中心となって、彼のような、ブームになる以前から地道に創作活動に取り組んできた作家の展覧会を企画している。地域社会の受け皿が広がったことを実感する。これは福祉視点とは異なる画家と門下生との信頼が築いた成果の例である。(米田 昌功/アートNPO工房COCOPELLI代表)