作品調査
下山 古国府NIZAYAMA Furuko
1997年生まれ 富山県在住
※以下の文章は、「滋賀県アール・ブリュット全国作品調査研究」令和3年度報告書から抜粋したものです。
「学ぶ」は「まねぶ(る)」を語源とするとはよく聞く話であるが、美術においても作品の精神性・様式・技法の継承や習得などを目的とした「模写」や「模倣」は、所謂「真似」「複写」とは異なる大切な活動と理解されている。しかし子どもが成長の過程において好きな絵やアニメのキャラクターを模写することは珍しいことではなく、ごく自然な表現欲求の結果芽生える活動であり、純粋に「まねる」ことは楽しくわくわくすることだ。当然、障がい者の表現においてもそのような模写を主体とした表現を行う人は多い。既に完成された画像や雑誌の広告などを傍らに置いて、自身のフィルターを通して写し取ることで独創性の高い図柄に昇華する模写を越えた作風も数多く見受けられる。空間認知が苦手な作り手においては構図を処理する手間が省け、筆致、形、色などの得意な感性を全面に演出することでさらにインパクトのある画面を作ることができるメリットがある。それらを多様な美術活動のひとつとして受け入れ奨励することは、作家の生き方を認め、豊かな人生を構築することにつながるのだが、支援活動が盛んになるほど、「真似る」「写す」ことを主体とした表現、再創作と言える分野の発表展示についての扱いや支援の方法ついて、知的財産保護、二次使用への観点も含めて適切に対応してかなければならないなどの課題が浮かんでくる。
そして、下山は「模写」にこだわって作品制作を続けている。
彼は発達障害を抱えながら劣等感の中で自分を抑えて生きてきた。関西の大学に入学したものの対人恐怖症に陥り、通学はおろか買い物にも出掛けられなくなるような状況の中で帰省を余儀なくされ、1年の療養の後大学復学を果たした。まだ復帰生活に不安が残る中、家から送られてきた荷物に巻かれていた包装紙に「巻物」を連想し、子供の頃から好きだった「妖怪」を描きたいとの衝動が沸き上がった。スマホに「百鬼夜行図」の画像を立ち上げ、紙を広げ右端から順番に鉛筆で描き始めた。本当に鉛筆で良いのか、紙が足りるのか、いつまでかかるのかなど、わからないことばかりで不安を感じたが、とにかくすぐ描きはじめることが最優先事項だった。巻物の妖怪に自身の姿を重ね合わせながら描いていった。多種多様な妖怪たちが楽しそうに行進する姿に心を救われていった。約3か月後に完成。数か月後には新たな衝動によって十数mの長さの鳥獣戯画甲巻の模写に着手している。現在は「北斎漫画」全十五巻の模写に数年をかけ、その後は鳥獣戯画乙本、丙本に取り組む予定だ。
模写された絵巻は事業所の働きかけで保管などを考慮して綺麗に表装されているが、当初は汚れた鞄に無造作に入れられていた紙の束であった。くしゃくしゃの紙の層から覗く筆跡から、丁寧に忠実に描くことよりも描き切ることに重点が置かれていることがすぐに理解できた。ところどころに手が擦れた汚れや皺、破れがそのままになっていて、見慣れている古典絵画とは似て違なる、まるで蔵から発見されたばかりのような言葉にできない迫力を漂わせていた。作品は、参考資料やスマホ画面を眺めて描く下書きなしの描写であり、それぞれのモチーフへの解釈や思い入れ、勢いによってスケール、位置、形に若干の歪みや相違が生じている。決して精巧な模写ではないが、自分が信じる原本の心性を写すという点においては忠実な模写と言えるのではないか。作品に託した思いや物語、愛着を「なぞっていく」ことにこそ意義があったのだ。筆跡の末節に宿る自分。その行為が自己確立に直接つながっているために模写でありながらも、下山の作品としての魅力を放ち始めるのだろう。
模写において個性は瑕疵であり失敗であると認識していた立場からは、描き切る欲求に従って十数mの作品に真剣に取り組んでいる人物がいることに新鮮な驚きを感じるとともに、模写と言う行為がその人のアイデンティティーを支える独創的な表現活動となり得ることをあらためて知ることができた作品だと言える。(米田昌功/アートNPO工房COCOPELLI代表)