作品調査
柴田 鋭一 SHIBATA Eiichi
1970年生まれ 埼玉県在住
※以下の文章は、「滋賀県アール・ブリュット全国作品調査研究」令和4年度報告書から抜粋したものです。
画面にはカラフルで有機的なかたちのドットがリズミカルに描かれている。ドットは独立しているもの、ドット同士が繋がり、重なり合って塊となっているものがある。よく見ると、下地には無数の大小の楕円と画面の枠に沿って四角い線が描かれている。ドットは下地の楕円の線に沿って描かれるものと、線が重なって生まれた隙間に描かれるものがある。それによって下地のかたちが強調され、ドットが旋回しているような動きを生み出しているのだ。カラフルであるが、色彩は抑制されている。淡い暖色系の色の広がりをダークブルーのドットが引き締め、画面全体のバランスをとっている。
調査訪問時、作者の柴田鋭一はオレンジ色のボールペンで新作を手掛けていた。こちらの作品は、ペンで描いた線の上に、四角いオブジェクトを描き込んでいた。四角いオブジェクトはボールペンで線を重ねて丁寧に塗られている。描いているとき、画面に両手を置くため手によってこすれた部分が所々滲んでいる。柴田の作品に所々見られる画面の周縁の滲みは手による擦れであるのだ。
彼に何を描いているのか質問すると、「せっけんのせ」という返答が返ってくる、という事前情報を知っていた筆者は、改めてそのように聞くとやはり「せっけんのせ」と答えてくれた。柴田の制作の速度は決して早くない。柴田は描きながら時折手を止め、周りを見回し、手元のものを触り、職員とコミュニケーションを取るなど、のんびりと自分のペースで制作しているように見えた。アトリエでは、途中でオセロを持ち出して遊んだり、午後はパンツだけを脱いだり、移動する際に途中で立ち止まったりするというこだわりがあるという。
柴田は1989年に埼玉県の川口太陽に家に所属し、2002年からはじまった施設内のアトリエである工房集の初期メンバーとして絵画を制作してきた。初期の作品は数字の2と3を反復して描くものであったというが、程なくして円を反復して構成する抽象画に変化し、それから四角なども併用して作品を展開してきた。
彼が自らの描いているもの(あるいは制作行為それ自体)を説明する「せっけんのせ」という言葉は何だろうか。彼を長年近くで見てきた管理者の宮本氏によると、「せっけん」という言葉は、養護学校時代に教員らの会話から出たという。当時、数字の1から3までしか文字が描けなかった柴田が円を描いたときに、教員達は柴田に「せっけんの泡」を描いていると言わせたくて、「せっけんの泡」という言葉を反復して教え込んだ。この過程で、教員の「せっけんの?」という質問に、柴田が「泡」ではなく「せ」と答え、「せっけんのせ」が誕生した。その後ときを経て、工房集にて柴田の制作を2と3の反復という初期の手法から進展させようと試みた宮本氏が、彼の母親から断片として聞いた「せ」をヒントに、「せ」を描くよう促したところ、「せっけんのせ」と言いながら楕円を描きはじめたと言う。当然ながら、柴田の絵画はひらがなの「せっけんのせ」の字を書いているようには見えない。柴田は楕円を描いていない場合、例えば四角を描いているときも「せっけんのせ」というそうだ。「せっけんのせ」は柴田が描いているもの、また描く行為について象徴化された言葉であるのだろう。
柴田は自分から率先して制作を進めるのではなく、あくまでも工房集という場での作業として日々制作を行っているのだという。柴田は自分が描けるシンプルなかたちを駆使し、職員の提案を取り入れながら少しずつ変容して現在の作風を獲得した。障害のある人の作品には反復によって制作される作品が多く、柴田の作品も円による反復であると言えるが、構成とバランスは彼独自のものであり、見るものを立ち止まらせる魅力がある。
柴田の作品は国内外の展覧会で注目され、周りから「巨匠」と揶揄されることがあるというが、彼の作品は施設での共生生活から生み出されるものであり、作品を制作することで工房集のメンバーであるという柴田自身の居場所づくりとなっている。柴田の制作には、作品のマーケットや評価とは異なる、制作する場によって人間関係や役割が成り立つリージョンを見ることができる。(今泉 岳大/岡崎市美術博物館学芸員)