
作品調査
下田 佳代子SHIMODA Kayoko
1980年生まれ 北海道在住
※以下の文章は、「滋賀県アール・ブリュット全国作品調査研究」令和6年度報告書から抜粋したものです。
下田佳代子さんと出会ったのは、7年前だ。札幌市内の病院に入院していた時だった。広いホールで画用紙に細かい絵を無心に描いている。病院側からは、「刺激を与えるので、話しかけないように」と言われていたが、彼女の描いている絵が気になって、つい声をかけてしまった。「面白い作品ですね」と。
名刺だけを渡し、その場を後にした。
それから数年後、「作品を見てください」と、突然メールが来た。当時の作品や新作を見せてもらうことになった。その中に出会った当時の作品も含まれていた。
佳代子さんは、デザインの専門学校を卒業し、就職氷河期の時代、広告などをデザインする会社に就職することができた。そこで12年ほどデザイナーとして充実した日々を過ごしていた。ところが調子を崩し退職した。「朝まで会社で働くこともあったのですが、忙しいわけではなく、発達障害でこだわりが強すぎて納得するまで帰れなかったんです」と、当時を苦笑いしながら振り返る。
現在、佳代子さんは仕事を辞め、1Kのマンションに一人暮らしをしている。「床に塞ぎ込むようにして描いていたので、見るに見かねて、小さな机を持ってきたんです。無心になると食事もままならないので、私が時々運んでいます」と、近くに暮らす母親の砂知子さん(75)が苦笑する。ありがたいサポートがあってこその、今なのだろう。
現在、描いている作品は、五線譜が踊り出すことを表現した作品だという。3本の水性ボールペンを束ねて持ち、点を打ち続ける。それ以外のペンは一切使わず、紙の白とペンだけのモノトーンにこだわっている。
「薬の後遺症とかではなく、遺伝だと思いますが、手が震えるんです。だから線ではなく点描にしたという理由もあります」と言い、再び画用紙に向き合った。
頭の中に湧き出てきたものなのか、わからないが、デザイン画のような形や点描によるモノトーンのグラデーションはとても綺麗だが、自分でも一つのテーマを描いているわけではないという。その時に思い描きたいものが、頭の中で湧き出てくるのだという。だから下書きなど一切ないのだと思えた。
「調子が悪いときじゃないと描けないモノもあるし、安定した時に描いたモノもあります。苦しい時は、満月を描き『助けてください』と神様に祈るような気持ちの時もありました。入院中の最も調子が悪い時だからこそ、描くことに集中していたし、何かに取り憑かれ描いていないと、おさまらない状態だったんです。こだわりが強すぎるんです」
絵を見せてもらうと、様々なテーマがあるようだが、特に入院中の作品は、圧倒的な力がみなぎっていたように思えたし、個人的にはその作品群が好きだった。佳代子さんにとっての点描とは、苦しさの葛藤とともに、それを紙に打ち込んでいる。だからこそ力があったように見えたのかもしれない。
部屋の壁には、『スッキリしなくていいんじゃない』というカウンセリングを受けた時の心理士さんの言葉が左右2箇所の壁に貼ってあった。
「こだわりが強いから、スッキリするまでやり続けてしまうことを見越して、心理士さんが、そんな言葉を言ってくださったんです。だから床で描いている時、ふと見上げて、『あっ、もうやめよう!』と心がけているんです」
病気を治すことと、絵を描くことの折り合い。母が言うように『病気の力が絵の原動力』という言葉にも納得できる。その転写がまさに描かれている作品だ。(大西暢夫/カメラマン)