作品調査
篠原 尚央SHINOHARA Nao
1981年生まれ 滋賀県在住
※以下の文章は、「滋賀県アール・ブリュット全国作品調査研究」令和3年度報告書から抜粋したものです。
篠原の表現にはいくつかのバリエーションがあって、漢字を書き連ねる行為や陶芸作品なども独創的なのだが、本稿では、2015年頃から開始した図版のような絵のシリーズにフォーカスをあてる。
絵に使われている色は、基本的に1つか2つ程度のものが多く、シンプルさゆえ配色や構図の妙、形のユニークさなどが前面に出ている。もう一つの特徴として、反復性がある。篠原の絵は形状、色を少しずつ変化させながら、繰り返し描いていく連続的な絵画表現になっている。
このシリーズの制作のきっかけは、通所する福祉施設において、グラスに注いだビールを描いたことであるという。実際にビールを注ぎ泡が溢れ出るとグラスの周囲にこぼれてしまった。篠原はこれを模して、ビールグラスを中心に描き、その周囲に丸みを帯びたアメーバのような形をいくつか描いた(図1)。彼はこの画題を気に入ったようで、その後も扇風機やイチョウなど、他の題材の時もこの形が出てくるようになり、やがてアメーバのような形だけ描くようになった。
描き続ける中で、形状は、いつの間にか四角へと変化した。それもやがて一部が欠けて、「凹」のような形になったり、中に空白が抜かれ「回」のようになったりと、形状は微妙な変遷を経ていった(図2)。そして、およそ1年のうちに、画題は、篠原自身が「カキカコ」(図3)と呼ぶものへと移行した。支援者によれば、「カキカコ」とは、かぎかっこ、つまり「」を表している。
「カキカコ」とタイトルの付いた作品を改めて見ると、カクカクとした直角的表現が多く、かぎかっこの形を見いだせるものもある。しかしながら、本来、かぎかっこにはない曲線や塗りつぶしによる面的な表現が付加されたりもし、かぎかっこぽくもありつつ、やはり違うような形をしている。
こぼれたビールの模様からカキカコへの、この移り変わりに、篠原の関心の変化を2つ垣間見る。1つは面的表現から線的表現への変化である。四角や丸の塗りつぶしから直角や弧を思わせる線的な表現を取り入れており、彼の描画意識の変化がうかがえる。次に、形から記号への変化である。四角や丸から、かぎかっこへの画題の変化は、意味をもたない単純な「形状」から機能を含む「記号」への変遷でもある。
かぎかっこを選んだことがポイントなのではないだろうか。かぎかっこは文字であるかそうでないか曖昧で、意味と無意味、機能と形といった定義においては、どちらでもあり、どちらでもないような中庸な存在だ。文字のように意味がはっきりと付与されているわけではないが、形でもない、そのような中庸さゆえ、篠原にとって、かぎかっこは、カスタマイズしやすいものなのではないだろうか。彼はかぎかっこを表現したいのではなく、かぎかっこを可変的な骨組みにして、自らの表現に利用しているのではないかと推察する。つまり、篠原の絵画表現とは、変容可能で使い勝手の良いプラットフォーム「カキカコ」を用いて、色彩と形状の差異と反復を試みることといえるのではないだろうか。
そうして彼が描きだすカキカコは、かぎかっこの形状・機能をかすめて戯れる連続的な絵画表象として立ち現れる。作品が類型的に並ぶとき、構成要素のシンプルさや色彩と形状の反復と差異のストイックな遂行が際立ち、ミニマリズム絵画に通じる崇高な印象を放つものと感じる。
なお、他の画題として、「コカコカ」(図4)と彼が呼ぶ曲線的なモティーフもあるが、これが何を示しているのかはわかっていない。また彼がビンをモティーフに描いたとき、ビンとカキカコを組み合わせたような、具象性のある作品もある(図5)。謎めいている要素も多いが、それも想像を掻き立てる魅力といえる。(山田創/ボーダレス・アートミュージアムNO-MA学芸員【執筆当時】)