
作品調査
武友 義樹TAKETOMO Yoshiki
1963年生まれ 滋賀県在住
※以下の文章は、「滋賀県アール・ブリュット全国作品調査研究」令和6年度報告書から抜粋したものです。
2024年12月2日。午後の光がやわらかく差し込む個室に武友義樹はいた。施設の作業部屋にあたる六畳ほどのその部屋が、武友のお気に入りの場所だという。部屋にはシングルサイズの簡易ベッドと、窓際に小さなテーブルと椅子が備え付けられており、黒いハットを被った彼はそこに腰掛けていた。右手には床まで垂れ下がった長さ10mほどのヒモが握られており、左手にはいくつかの飴玉が握られている。時折、手に持ったヒモを手首のスナップをきかせ、波打つように動かしていた。
武友は19歳の時に現在の施設に入所した。その時にはすでにヒモを振る行為を行なっていたようである。その行為を行うようになったきっかけは定かではないが、現在も肌身離さず持ち歩いていることから、それが武友にとって欠かすことのできないものであることは間違いないだろう。ヒモの持ち手である柄の部分は、近所で拾ってきた木の棒を自身の手によって括り付けていたようだが、現在は施設のスタッフが灯油ポンプの先を切り取って取り付けている。入所当時はヒモの長さは10mを超える長さであり、全身を使いながら大きく振り、時にはヒモを振るスピードでムチのような音がなるほどの勢いだったという。大きく左右に振ることもあれば、ヒモが波打つ感覚を確かめるように振るなど、いろいろな楽しみ方があったようだ。ヒモは一か月に一度ほどのペースで新調され、古くなってしまったヒモは屋根の上に投げてしまうことが多かったらしい。施設の屋根の上にはこれまでのヒモがいくつも乗っていたこともあるが、雨樋を伝って器用に屋根にのぼり、それを拾いにいくこともあったということから、捨てているわけではなく、隠し場所として使用していたのかもしれない。
現在は視力の低下によって、ほとんど目が見えていない。手や耳の感覚を頼りに、ヒモを振っているのだろう。以前のような身振りでヒモを振ることはなくなったようだが、椅子に座ってそのヒモを握る姿は、彼のヒモに対する情熱は変わらずに今でもまだきちんと残っているように思えた。
※ 武友は陶芸の作品を制作していたことでも知られているが、今回のリサーチではヒモを振る行為に重点を置いて調査を行った。(寺岡海/アーティスト)