
作品調査
吉本 篤史YOSHIMOTO Atsushi
1971年生まれ 鹿児島県在住
※以下の文章は、「滋賀県アール・ブリュット全国作品調査研究」令和6年度報告書から抜粋したものです。
吉本篤史さんは鹿児島市にある「しょうぶ学園」に、知的障害のある他のメンバーとともに暮らす。そこには、木、布、土、紙、絵画、食の工房があり、彼は布工房の一隅を占有して、薄く透き通った布、糸、針、ハサミでの制作に余念がない。今回の制作が始まってからかなりの日にちが経ち、その成果が部屋中に広がり、薄布の小片たちは、時に窓から差し込む陽光を受けて美しく佇んでいる。
彼の手元の窓際やすぐ脇の作業台には、薄布小片群がうず高く積り、糸が絡まり、意味ありげに長い糸がそこから床へと何本も垂れている。床の上にも、小片たちが広がり、ある処では重なりの密度が高くなり、ある処ではまばらになり、長い糸が小片たちを繋ぐように延びている。その広がりの様は一見、理髪師によって切り取られた髪が床に偶然散乱したのに似ている。しかし、積もる・絡まる・垂れる・散らばるという偶然の力を借りているかもしれないが、そこには彼の意図が強く働いている。群なす小片や糸は、理髪店の床に広がる髪や、洋服を作る過程で切り捨てられた布切れや糸くずとは異なり、彼が独自に編み出した技術の成果であることが、少し近寄って視るとよくわかる。布を小片に切り、縫い糸二本を合わせ、とても微細な玉節を作り、薄布小片の一辺を折って縫う、という繊細な手仕事が施されている。こうして手仕事に勤しむことに彼は、他のメンバーやスタッフと、そして「世界」と調和的に生きるすべを見出したともいえる。
1973年創立のしょうぶ学園は、1980年代半ばから上述の工房を次々と開き、工芸的あるいは手作り的商品作りを目指すようになった。大島紬の下請けから始まった布工房では、裂いた布を緯糸にした裂(さき)織や刺繍製品を一般市場に流通させるべく、スタッフはメンバーを励ましたが、思うようにはいかなかった。模索のさなかに施設長夫妻は、布が縮こまり、団子状になるまで施された過剰な刺繍の面白さとアーティスティックな魅力を見出した。そして、人と糸と針と布とのあるがままの交流のなかで現れるカタチを大切にする『nui project』が1992年に始まった。
1997年に吉本さんがここで暮らすようになり、やがて布工房で刺繍をするようになった。彼は糸を繋いで場所を塞ぎ、他のメンバーの邪魔になるので、一人で作業できるよう、工房の一隅の部屋を占有できるようにした。彼は身の回りの布製品に独特のかかわり方をする。タオルやシーツなどの布製品の糸を解す。身体に密着するような袖口や靴下、ズボンの裾部分、ベルト通しなどの仕様にこだわりがあり、切り取って自分仕様にリメイクするようにスタッフに要求することがしばしばある。工房の一隅を占有するようになった当初、彼は自分のパンツや靴下を工房に持ってきて、4cm角くらいに切り刻んで床に並べ、さらに2cm角に、そして1cm角に切って並べた。その後、一語文を超えた言語コミュニケーションをしない彼とスタッフたちとの月日をかけたやり取りが重ねられたのだろう、彼の制作は現在のようなカタチに進化した。
スタッフたちは、モノつくりに柔軟な眼差しで対応している。吉本さんが刺繍した布は、額装して時間のなかに閉じ込めて作品とする。現在、薄布小片、糸、針、ハサミ、占有空間とあるがままに交流しながら生み出しているものは、常に時間の流れとともにある。(青木惠理子/龍谷大学名誉教授)
参考文献
『縫~nui project 2』(発行)社会福祉法人太陽会 福森悦子/(企画・編集)工房しょうぶ 2007年
『ありのままがあるところ』(出版)晶文社(著)福森伸 2019年
『しょうぶ学園50周年誌 両手を180度まで広げてみる』(出版)SHOBU出版 2023年