NO-MA ARCHIVE(ノマ アーカイヴ)

刊行物
2014.3
地域とNO-MA

西川賢司(滋賀県社会福祉事業団企画事業部 文化芸術推進課長)

この文章は、滋賀県社会福祉事業団(現:社会福祉法人グロー[NO-MAの運営団体])企画事業部文化芸術推進課長(当時)が『ボーダレス・アートミュージアムNO-MA 10年の軌跡』(2014年)に執筆したものです。肩書は執筆当時のまま掲載しています。

ボーダレス・アートミュージアムNO-MAがある近江八幡市は滋賀県中央部、琵琶湖の東岸に位置する。一五八五年に豊臣秀次(秀吉の甥)が八幡山に城を築き、その麓に城下町を開いたことに街の歴史は始まる。秀次は、西の湖を経て琵琶湖に至る八幡堀を開削、楽市楽座などの自由な商業が行われるなど城下は活気にあふれていた。八幡山城の廃城以後、城主を失った街の人々は、活路を商業活動に求め在郷町として発達し、諸国に出店を持つ「近江商人」が生まれていった。

秀次が開削した八幡堀は、一九四〇年代後半頃までは主要な交通路として利用されており、近江八幡の発展に大きな役割を果たしてきた。住民が自主的に定期的な浚渫を行い、泳ぐことができるほどきれいな状態に保たれていたという。しかし、戦後の陸上交通の発達や生活形態の変容に伴い、一九五〇年代後半には八幡堀は忘れ去られた存在となり、水質の悪化を理由に、八幡堀を埋め立てるという改修計画が浮上した。

埋め立て計画が進む中、八幡堀を近江八幡市民のアイデンティティとして捉えようとする数名のグループが、「堀は埋めた瞬間から後悔が始まる」を合言葉に全市民へ浚渫と復元を呼びかけ、毎週日曜日に自主清掃を始めた。多くの市民が改修を望む中、当初は孤立状態にあった保存運動は徐々に市民の賛同を得、埋め立てから再生事業へと変えることに成功。今日の八幡堀の姿をみることができるようになったのである。この運動は、八幡堀を再生するだけに留まらず、商家の街並みの保存にもつながり、一九九一年に重要伝統的建造物群保存地区(以下、伝建地区)となった。また、地域住民の生活と深く結びついて発展した水郷地帯の文化的景観が、文化財保護法に新たに設けられた重要文化的景観の全国第一号の選定を受けるなど、地域の素晴らしい景観を市民が守り再生していこうとする運動は、着実に実を結んできたのである。

現在は、多くの観光客が伝統的な景観を保つこの街並みを訪れるが、八幡堀を守り、街並みを保存しようとする地域住民の運動は、決して観光客を誘致するために始まったものではない。この街に生き続けていこうとする一人ひとりの等身大の思いが、次第に輪を拡げ現在に繋がっているのである。そして、この思いが街のやさしい情景をつくりだしているのではないだろうか。

この街に息づくまちづくりの風土に吸い寄せられるようにして、ボーダレス・アートミュージアムNO-MAは二〇〇四年に開館した。開館来、展覧会の開催に加え、地域との繋がりを深めていくことを目的とした「地域交流事業」を実施してきた。イベントの参加者、そして私たち自身がこの街の素晴らしさを感じ取るプログラムを積み重ねることにより、NO-MAが地域社会に溶け込んだミュージアムとなることを目指してきたのである。「まちの木霊を探せ」「八幡堀かっぱ探し」「八幡山に天狗を探せ」など、地域の自然をフィールドにしたこれらのプログラムでは、まちあるき、創作、鑑賞を組み合わせたプログラムを展開してきた。当初は子どもたちを対象としたプログラムが中心になっていたが、近年は対象者の幅を広げ、展覧会と連動したプログラムとすることに軸を置き、展覧会ごとに地域交流事業を実施している。

また、地域の方々によりNO-MAを知っていただくことを目的に、ニューズレター『野間の間』を定期的に発行している。このニューズレターは、展覧会のレポートやアール・ブリュットに関するコラムなどに加え、「あの人の近江八幡スタイル」と題した、地域のみなさんを紹介するコーナーをもって構成されている。

NO-MAが開館した当時、おそらく地域のみなさんは、「美術館? いったい何をしはるの?」といったことを思われていたかもしれない。NO-MAの隣にある本間牛乳の本間繋利さんは、『野間の間』のインタビューで「最初はなぜこんな住宅地に? と疑問だった。当時は、新しい施設や店舗が無かったから不安だったのかもしれない。今となっては、NO-MAだけでなく様々な人や団体が町屋を活用し、遠方からも人が集まっているので嬉しい」と話してくれた。町内の寄合に参加すると、同様のお話をお聞かせいただくことも少なくない。NO-MA開館から一〇年の経過の中で、地域のみなさんの思いがゆっくりと変化していることを感じ、地域交流事業の実施、そして地域との関係性を大切にした運営の成果が少しずつ現れていることを大変嬉しく思う。

本年度、これまでの実践を礎に、「文化庁 地域と共働した美術館・歴史博物館創造活動支援事業」の採択を受け、NO-MA界隈の伝建地区の複数の町屋で『アール・ブリュット☆アートな日本』と題した大規模な展覧会を開催する。空き町屋をご紹介いただいたり、受付や会場案内のボランティアをお願いするなど、地域のみなさんにも展覧会運営に直接関わっていただこうとしている。来場者とお手伝いいただく地域のみなさんがアール・ブリュット作品の魅力を通じて交流を深め、新たな共感の輪が拡がることに大いなる期待を抱いている。開館より一〇年の節目を迎えた今、地域とNO-MAの新たな関係性を育み、アール・ブリュットをこの街の文化資源の一つとして息づかせることができればと考えている。

近年は、NO-MAがある伝建地区一体は観光地として賑わう一方で、世帯数の減少、高齢化が進んでいる。新たな仲間も加わり、地域のつながり、人と人の絆を育んでいくことは、この街が直面している課題ともいえる。多様性と固有性を内に秘めたアール・ブリュットの可能性は、地域の課題と向き合う、地域づくりの分野においても新たな気づきをもたらすのではないだろうか。

新たな地域コミュニティを生成する役割の一端をNO-MAも担い、ゆっくりと歩んできたこの街と心を通わせながら、地域との共働を大切に進めていきたい。

明治橋から見た八幡堀

上:現在 下:自主清掃活動が始まる以前の様子

出典:『ボーダレス・アートミュージアムNO-MA 10年の軌跡』(2014年3月31日発行)
「平成25年度アール・ブリュット推進事業費補助金」助成事業

西川賢司
滋賀県社会福祉事業団企画事業部 文化芸術推進課長。滋賀県出身。2011年滋賀県社会福祉事業団入職。企画事業部でNO-MAの事業、糸賀一雄記念賞音楽祭などを担当する。前職は栗東芸術文化会館さきら事業担当部長。これまで、主に音楽制作や舞台制作に携わるほか、地域住民と連携したコミュニティアーツのプロジェクトに携わる。
(プロフィールは執筆当時のまま掲載しています)

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