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刊行物2019.3
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「身を以て心に伝う」ユニバーサルな鑑賞法
広瀬浩二郎
(国立民族学博物館グローバル現象研究部准教授)
この文章は、「“ボーダレス・エリア近江八幡”をみんなで作るプロジェクト」のドキュメントブック(2019年)に寄稿いただいたものです。プロジェクトでは、身体をテーマにした展覧会「以”身”伝心 からだから、はじめてみる」を開催しました。展覧会と並行して視覚障害のある人と作品を一緒に鑑賞するプログラム作りにも取り組み、広瀬氏にも意見をいただいたり、イベントの講師を務めていただきました。肩書は執筆当時のまま掲載しています。
昨年12月、国立民族学博物館(民博)で知的障害者向けの学習プログラムを担当した。本プログラムにおいて、僕が強調したのは触覚・聴覚の可能性である。楽器や玩具など、さまざまな民族資料に実際に触れ、その感触をじっくり味わってもらう。また、「日本の音風景」のCDを聴いて、何の音声なのかを考えるクイズも実施した。触覚と聴覚を意識するきっかけとして、日常生活で触覚・聴覚を頻繁に用いる視覚障害者と触れ合うのは有意義だろう。プログラムでは全盲の視覚障害者である僕との交流、自己紹介や握手の時間をしっかり確保した。
プログラムの最後のアクティビティは、粘土による作品制作である。まず、野菜や果物の実物にさわり、気に入ったものを選んでもらう。普段何気なく食べており、よく知っている野菜・果物でも、あらためて細部に触れ、においを嗅いでみると、意外な発見がある。お気に入りの野菜・果物が決まったら、それを手元に置いて、粘土で制作する。実物を忠実に再現する人もいれば、全体ではなく、部分にこだわる人もいる。上手か下手かは二の次で、実物から得た印象をそれぞれのスタイルで「形」にするのがプログラムの狙いである。
今回の僕のプログラムでは、知的障害者たちの反応がよく、保護者アンケートもおおむね好評だった。今後、知的障害者が気軽に参加できるプログラムが定着するように、民博の本館展示、特別展示との関連性を強化していく必要があるだろう。「学習」プログラムとして深化するために、改善すべき点も多い。とはいえ、初回の試みとしては、まずまず成功だったのではなかろうか。
僕が本プログラムを立案する際、ヒントとなったのが「以身伝心」という言葉である。11月23日にNO-MAでの鑑賞会を行うに当たって、スタッフの方々と事前打ち合わせを重ねた。この打ち合わせは、僕にとって「博物館」を再考する貴重な機会となった。僕は民博を拠点として、「ユニバーサル・ミュージアム」(UM)の実践的研究に取り組んでいる。もともとUMとは、「誰もが楽しめる博物館」を意味する和製英語である。最近、僕はUMの定義として、次の二つをよく使う。「感覚の多様性が尊重される博物館」「物・者との対話を促す五月蠅い博物館」。以下、この二つの定義について説明しよう。
「見学」という語が示すように、従来の博物館は視覚優位、視覚偏重の生涯学習・社会教育施設であるといえる。いうまでもなく、大量の情報を瞬時に伝えることができる点で、視覚は他の感覚よりも優れている。また本来、絵画などの視覚芸術は、言葉を媒介とせず、「見る」者同士の以心伝心で鑑賞すべきだろう。
古今東西、博物館の展示にとって、視覚は有力な表現・伝達手段であるのは間違いない。問題なのは、その便利な視覚に頼りきってしまう安易さである。見るだけではわからないこととは何か。その代表が「心」だろう。視覚依存の博物館、ひいては社会のあり方を問い直すのがUM運動の要諦ということができる。必然的にUMでは、見学ではなく、「身を以て心に伝う」鑑賞法が重視される。僕の中で、NO-MAの展示とUMが明確につながった。
「感覚の多様性」を尊重するために、触覚・聴覚で楽しめる展示を増やすのは重要である。今回のNO-MAの展示では、作品そのものに触れるのみならず、立体コピーによる触図、作者のインタビューを収録した音声ガイドなどが用意されていた。一般に、触図をさわって理解するのは難しい。視覚情報を触覚に変換する作業には限界がある。この限界を乗り越えるために、11月の鑑賞会では能動的な体験を導入した。
触図にさわった印象を自らの手で再現するドローウィング(線描)は、触覚を介して作者と鑑賞者の「心」をつなぐ実験である。また、切り抜いた触図のパーツを人形劇のように手で動かして、想像(妄想)を広げる鑑賞にもトライした。触図パーツを両手で操作する時間に連動して、作品に描かれる人物の距離を実感できるのが、この鑑賞法のポイントだろう。
その他、触覚に置き換えるのが困難な絵画作品をラジオドラマ風の音声劇に翻案する試みも、新しいチャレンジとして評価したい。和歌の世界には本歌取りという手法がある。芸術鑑賞でも本歌取り的な試行錯誤が蓄積されれば、「感覚の多様性」への理解・共感はさらに深まるだろう。
UMは「静かに鑑賞する」という博物館・美術館の常識も覆す。多感覚を駆使する鑑賞では、互いの感想を伝え合うのが大事である。視覚・触覚・聴覚、そして五感以外の第六感。鑑賞者が感じたことを自由に口にする。ワイワイ、ガヤガヤと会話が盛り上がるのがUMの特徴ともいえる。僕があえて「五月蠅い博物館」と漢字で表記するのは、蠅のように人間も触角をフル活用してほしいと思うからである。例えはあまりよくないが、全身の毛穴から何千本もの手が伸びるイメージだろうか。人間には使っていない、もしくは眠っているセンサー(触角)がたくさんある。聴覚・触覚を刺激することにより、全身の触角を呼び覚ます。これが「五月蠅い」に込めた僕の真意である。
今回の「以“身”伝心」展にあって、視覚障害者対応に力を入れたことが、NO-MAの新たな事業展開として注目される。一人の視覚障害者として、僕はNO-MAが身近な美術館となったことに感謝するとともに、スタッフの努力に敬意を表したい。聴覚や触覚で楽しめる仕掛けを増やす発想は、単なる視覚障害者対応にとどまるものではない。おそらく、11月の鑑賞会で作品の「心」に触れた健常者の多くが、自己の感覚が解き放たれる興奮、物・者との対話の魅力を体感したのではなかろうか。
大切な作品の保存と触察鑑賞をどのように両立させるのか。複雑な絵画・写真の視覚情報をどこまで触図で伝えられるのか。「ユニバーサル」の実現をめざし、引き続き検討を進めていかなければなるまい。だが、とりあえず今はNO-MAの関係者とともに、新たなミュージアムを創造する第一歩を力強く踏み出すことができた事実を素直に喜びたい。
出典:『“ボーダレス・エリア近江八幡”をみんなで作るプロジェクト ドキュメントブック』(2019年3月31日発行)
平成30年度 文化庁 地域と共働した美術館・歴史博物館創造活動支援事業