NO-MA ARCHIVE(ノマ アーカイヴ)

刊行物
2014.3
あらためて「表現のルーツと出会えるところ」に

今井祝雄(美術家)

この文章は、『ボーダレス・アートミュージアムNO-MA 10年の軌跡』(2014年)に寄稿いただいたものです。

二〇年前、新設の芸術系大学に就任が決まったとき、長らく大学教員を務める友人が「新しい大学の開学に立ち会えるなんてラッキーじゃないか」といって喜んでくれたのが印象的だった。教員歴の浅かった私はそんなものなのかと思ったが、このたび、NO-MAの開設一〇年を迎えるにあたって、同じ滋賀の地で以上の二つの立ち上げに関われた幸運は、あらためて感慨深いものがある。

それはともかく、十年ひと昔というけれど、NO-MAがオープンした二〇〇四年から現在に至るこの一〇年の間に、障がいをもつ人たちの表現に対する社会的認知と理解は激変した。それを先駆け、推進させた中心にNO-MAがあったといって過言ではないだろう。

もうひとつ、当初は便宜的に呼ばれていたアウトサイダー・アートが、この間、アール・ブリュットに変わっていったことである。いずれの呼称も障がいのある人だけの芸術表現に限られるものではなく、いわゆる美術の専門教育を受けていないうえ、画壇や美術界といった既成の文化制度に組みしない素人芸術家による表現や、異論を恐れないなら幼児の造形も加えていいかもしれない。そうしたことから、「生の、無垢な芸術」を意味するアール・ブリュットのほうが「ボーダレス」を掲げたNO-MAの趣旨に近いと思われるので、以下アール・ブリュットと記すことにしたい。

私自身、いわゆるアール・ブリュットを再認識するようになったのはNO-MAが開設される二年前のことで、勤めていた美術大学の学生らが滋賀県社会福祉事業団の障害者アート・サポーター派遣事業に参加することになり、その橋渡しを担ったことによる。

福祉現場におけるアート・サポーターの体験は美術を学ぶ学生らにとって未知との出会いであった。それら技術を超えた何の捉われもない表現に目から鱗が落ちるほどの大きな刺激を受け、各自の制作のモチベーションと表現のルーツを今一度考える機会となった者が少なくない。なかには卒業後、そうしたフィールドで働く者もでてきている。
そんな縁で、滋賀県の障害者アートギャラリーと仮称していた同準備委員会の立ち上げに関わることになった私は、以来、運営委員会から現在の懇談会、また一度は企画展の出品者として微力ながらお手伝いさせていただいている。

どんなコンセプトの施設にするのか。

もともと障がいをもつ人たちの作品を並べるギャラリーから始まったものの、それだけなら、逆にそれらを囲い込むことにもなりかねないのではないか。“何ものにも捉われない表現”という点では常識や社会通念に縛られない現代美術の先端的な作品と何ら変わることはなく、同じフィールドで広く表現の根源と触れあえる開かれたアートとコミュニケーションの現場に、という方向性がボーダレス ・ アートギャラリーNO-MA(後にミュージアムと改称)の名称とともに採択されたのである。

ハード面でも大正期の町屋をリニューアルする設計にいたるまで討議を重ねたが、計画初期では場所も未定であった。今日、目まぐるしいスクラップ・アンド・ビルドの反省から古い町屋や近代建築のリノベーションがいわれて久しいが、私にはかつて大阪の中之島にあった明治期の土蔵を改造した小さな美術館「グタイピナコテカ」における抽象絵画との出会いが忘れられないだけに、どこかのビルのフロアでないほうがいいと思っていた。結果的に、近江八幡の重要伝統的建造物群保存地区に建つ旧宅をバリアフリーに改装したユニークな小美術館となったことはけだし正解であった。歴史を刻んだ町屋の空間的特性を生かした企画づくりは社会福祉事業団のスタッフはもとより、われわれ準備委員らの胸をときめかせるものだった。

こうして、障がいのある人たちと現代美術の先端的な表現者とのコラボレーションによる展示をメインに、県下の福祉施設で創られた絵画・造形の展覧会やシンポジウムを含む地道で継続的な活動の拠点が生まれたのである。ここで忘れられないのは改装前の同所においてささやかに開かれたプレイベントである。光と音の二人のアーチスト (笹岡敬+藤本由紀夫)と障がいをもつ人たちの絵やオブジェからなる実験的展示が試みられたのだが、実はこの時、すでにNO-MAのスタートは切られていたのである。

開館以来、この初めてのユニークな活動拠点に全国から福祉や美術の関係者が訪れ、話題となった。私も毎年、NO-MAの展覧会と近江八幡の街歩きを新入生の学外授業として続けてきた。

二〇〇六年、これまで美術史の外側におかれていたアール・ブリュットの造形作品を収蔵・展示するスイス、ローザンヌの美術館「アール・ブリュット・コレクション」の館長が、日本におけるアール・ブリュットの調査で来日し、滞在中の一日、成安造形大学で公開講演を行なった。以上の調査の成果としてNO-MAをはじめ旭川、東京で巡回展が開かれ、その後、ローザンヌやパリで展覧会が開催されたことは記憶に新しい。

そして、アール・ブリュットの風が吹いたのである。一陣の風を当たり前の空気にすることは容易ではないが、ともあれアール・ブリュットが、人にとって欠かせない営みである芸術文化として認識され根づいていく素地が生まれたことは確かだ。しかし、こうした動きがさまざまなメディアにとりあげられ、ひとつのブームのごとき現象に感慨を覚えつつも私には若干の戸惑いもあった。

というのは、アール・ブリュットへの社会的関心が広がり理解が深まることを喜ばしいと思ういっぽうで、障がいの有無にこだわらない表現について、従来の美術に踏み込んだ冷静な議論がまだ十分になされていないと思うからである。アール・ブリュットへの盛り上がりを「こんなおもしろい作品があるよ」といった紹介だけにとどめてはならない。

アール・ブリュットにおいては、作品よりも作者の出自や障がいの背景について言及されがちだが、ことさら「障がい」ということばに捉われることなく、アー ト全般の地平でもっと作品そのものについて語られるべきだろう。アール・ブリュットを深く理解するには、アール・ブリュットだけでなく、まずは広く現代アートとも接することで、アートそのものが発するメッセージに耳を傾け、楽しむことが大切だ。芸術とは、本来、個人の表現の所産であり、作者が健常者であれ障がいをもつ者であれ、変わりはないのだから。

言うまでもなく滋賀県は「環境」とともに「福祉」においても先進県である。とりわけ糸賀一雄らがその礎を築いた近江学園をはじめとする福祉施設において、障がいのある人たちの造形活動が取り組まれだしたのは敗戦後の間もないころからだが、その後、オブジェ焼きで知られる陶芸家・八木一夫が関わるなど、この地の粘土造形における芸術的な展開が顕著となって久しい。そんな福祉とアートを実践してきた伝統を発展させるべく生まれたNO-MAの一〇周年を、以上の初心を振りかえりつつ祝いたいと思う。

『マイ・ルール~わたし時間の集積』出品「デイリーポートレイト」(1979年からの自写像)

出典:『ボーダレス・アートミュージアムNO-MA 10年の軌跡』(2014年3月31日発行)
「平成25年度アール・ブリュット推進事業費補助金」助成事業

今井祝雄
1946年、大阪市生まれ。元、具体美術協会会員。1966年、第10回シェル美術賞一等賞受賞。以来、内外の展覧会に出品多数。新大阪駅前や京阪天満橋駅、大津市役所沿道などにモニュメント制作、大阪市都市環境アメニティ表彰。著書に『白からはじまる—私の美術ノート』(ブレーンセンター)ほか、近刊に『へたっぴんの美学—高鍋大師 保吉翁の世界』がある。昨年のアントワープに続き今春ニューヨークで個展。
(プロフィールは執筆当時のまま掲載しています)

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