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江戸雄飛さん

作品調査

江戸 雄飛ETO Yhi

1997年生まれ 福井県在住

江戸作品01
無題

2019年 915×1515

江戸作品02
無題

2018年 975×3005(部分)

江戸作品03
無題

2017年 900×1200

※以下の文章は、「滋賀県アール・ブリュット全国作品調査研究」令和2年度報告書から抜粋したものです。

 江戸雄飛は、特別支援学校在学中の2014年から福井県若狭町の大鳥羽駅舎内にある「若狭ものづくり美学舎」で隔週開講される「きらりアート部」に通い、創作に取り組んでいる。彼の創作はスタッフがロール紙を床に広げて、今から描く部分を示すところから始まる。マーカーを持つとすぐに靴を脱いで紙の上に立ち、ウロウロ動き回りながらなにごとかを、小さな、それでいて抑揚のある声でつぶやきながら、殴り書きのような線、あるいはサインのような崩し文字を書き連ねていく。つぶやいているのは紙に書いている文字、ことばだ。すぐ隣で本人のことばを記録しているスタッフのメモ帳から、それらの文字が気になっている地元の会社やホームセンターの名前であることがわかる。何度も何度も書き重ねて線の塊ができると、違う余白に視線を向け、同じことを繰り返していく。腰を折って前屈姿勢になったり、しゃがんだり、ときどきスタッフの記録を確認したりで動きが徐々に忙しなくなっていく。全体が埋まってくると今度は一度描いた場所に文字を上書き、あるいは訂正するようにさらに上から描き重ねていく。
 気持ちが高揚してきて激しい手の動きにことばがついていけなくなるころには、ギザギザの線が下の文字を消しとってしまうことでますます画面は黒く文字は判読不能になり、作品はまるで抽象絵画のような趣になっている。ふっと顔をあげひと息つくように紙全体をゆっくり眺めたところで、「最後にー!」と勢いよく文字を刻む。スタッフが声をかけると「おわり!」と答え、その日の活動は終了。すぐにスタッフの記録を眺めて、その内容や数を確認する。約1時間半ロール紙と真剣に向き合い描き切ったためか、とてもすっきりした表情。描かれた約3mの部分は巻き上げられ、次の創作ではまだ描かれていない白い部分にまた同じように体全体でぶつかることになる。
 彼は子どものころから文字や数字へのこだわりが強く、それらを眺めること、紙などに書くのが大好きで、おもちゃ遊には目もくれず、チラシや広告の裏側やコピー用紙に思いつくままに字を書いては捨てていたそうだ。外出したときなどは公民館、学校などの施設内にホワイトボードを見つけると常に字を書いていて時間を忘れて楽しむぐらいだった。当時書いていたのは、47都道府県のテレビ局、暦、CM曲名そしてお母さんへの手紙など。若狭ものづくり美学舎に通い始め、クレヨン、墨なども経験したが、どの作品からも迸ほとばしるエネルギーにスタッフは圧倒された。2017年のある日、本人の要望でアクリル絵の具を使って文字を「描いて」みたところキャンバスが真っ黒に!それからは、様々な大きさの紙で取り組めるように環境を整えるようにしていった。試しにマーカーを渡したところ、相性がよかったのか集中力が格段に変わり、現在のような描き方に落ち着いた。マーカーの作品が地元の美術展で大賞を獲ったことから、表現にますます勢いがついた。やがて様々な色のマーカーやボールペン、鉛筆も使われるようになり、さらに表現が深みを増していった。
 彼の表現の特徴は「描く」と「書く」の境界がない。また、制作中に発した言葉の記録へのこだわりが強い。記録された言葉は、細長くつなぎ合わされ、作品の一部として展示される。鑑賞者はそれを見てこの抽象的な作品が実は言葉であふれていることを知るのだ。文字や言葉は社会や関係性の維持のための伝達ツールとしての役割とは別に、人の心の中では、深層意識に漂う原始スープのような形のないものなのではないか。そこでは「書く」「描く」「話す」は、それぞれが溶け込み合い、意味をもつ前の姿で存在しているだろう。そして、彼の作品はまるでそれをそのまま紙に投げつけたかのようだ。
 もしかしたら「線を引く」ことこそが人の存在意義を確認するための最初の行為で、生存欲求に直結しているのかもしれない。混沌から流れ出た文字群は、彼の生活環境から拾い上げられた決して特別ではない何気ないことばや名称ばかり。だが、だからこそ彼そのものともいえるのである。(米田昌功/アートNPO工房COCOPELLI代表)

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