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作品調査

中村 誠NAKAMURA Makoto

1991年生まれ 兵庫県在住

図1 無題

2009年

図2 無題

2008年

無題

2004年頃

無題

2012年頃 529×396 トレーシングペーパー、色鉛筆

無題

2020年 396×290 トレーシングペーパー、色鉛筆

※以下の文章は、「滋賀県アール・ブリュット全国作品調査研究」令和4年度報告書から抜粋したものです。

 中村誠の制作は、大きく分けて、写真と絵の二種類である。両者を貫いて語るキーワードは、「電車」である。幼いころから、中村は電車に乗ることを好んでおり、週末になれば、母親とともに電車旅に出かけていたという。その体験は、彼を精神的に支える大切な営みであり、また、創作のインスピレーションにもなっていたと思われる。
 まず、写真について述べる。中村が写真を撮り始めたのは、小学校1年生のとき、「息子はどのように世界を見ているのだろう」と気になった母親からポラロイドカメラを持たされたのがきっかけであった(途中で、ポラロイドからデジタルカメラに持ちかえた)。彼の母親が管理している写真を見せてもらったが、電車や建物をとらえたものが中心で、人物を主役にしたものは少なかった(人と無機物の中間的なものだが、お気に入りのぬいぐるみを様々な背景で撮影するというシリーズはあった)。被写体選びも含め、彼の写真には無機的な印象が漂う傾向がある。それに加え、時に意表をつくアングルも特徴的である。
 たとえば、図1においては、「つ」の駅名標識をセンターに据えつつ、看板が対象的に並んでおり、幾何学的な構図が意図されている。あるいは、図2では、電車の正面の窓に、その先の線路や電線が写り込んでおり、さながら電車のなかにもう1つの世界が存在するような見た目となっている。被写体選びや反射や幾何学的な構図には、中村らしい世界の切り取り方が表現されている。
 やがて中村自身が年を重ねるにつれ、カメラを持ってあちこちを公然と撮影するのが難しくなった。それと並行して、創作的な活動の主軸は絵に移っていく。本稿で取り上げる彼の絵は、モノクロのものもあれば、複数のカラーが使われているものもあるが、いずれも縦横無尽に画中を走る線で構成されたものである。中村はこうした絵を、かつては電車の中でスケッチブックに描いていた。電車の音を聞き、音に合わせて線を引き、あるいは、駅名から引用したであろう文字を絵の中に入れ込む。こうした制作過程を踏まえると、彼の絵は、電車的な音、光景、振動といった体感を、線によってビジュアル化したものであるといえる。彼の絵のもつリズム感と疾走感は、「電車」に由来しているのである。
 一方で、絵の制作は電車内のみならず、自宅でも行われてきた。母親は、「電車的な体感を持ち帰り、思い出して描いているのではないか」と推察していた。また、興味深いことに、自身が撮影した写真の上に紙をのせて線を引くということもあったという(この制作方法にたどり着いたがため、作品の素材にトレーシングペーパーが選ばれるようになった)。自身の記憶を振り返るかのごとき描線行為の土台に、これまた自身の記憶に深く関わる写真が用いられているのは興味深い。中村にとって、写真や絵という創作行為は、自らの記憶、自分を成立させる思い出に向けて何度も繰り返される参照行為といえるのかしれない。
 ところで、少年~青春時代には、毎週末のように母と電車旅に出ていた中村は、現在、グループホームに住んでいる。環境も変化し、電車に乗ることはめっきり少なくなった。それは決して小さくはない変化だと想像する。しかしながら現在も、線を描く行為は続く。それは、母と何度も乗った電車の揺れが、車体が線路を駆ける音が、流れていく車窓の景色が、いまだ彼に息づいているということであろう。いまでも大切に持ち続ける写真と、何度も引かれ続ける線は、「電車」の記憶を経由地として、自己とこの世界とのつながりを確認するための媒体となっているといえるのかもしれない。(山田 創/ボーダレス・アートミュージアムNO-MA学芸員【執筆当時】)

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