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中武さん

作品調査

中武 卓NAKATAKE Suguru

1996年生まれ 宮崎県在住

中武作品01
《5月の庭の花》

2020年 1030×728 紙、クレパス

中武作品02
《ふたつの瓶の木の葉っぱ》

2019年 1030×728 紙、クレパス

中武作品03
《春の庭の花》

2020年 841×594 紙、クレパス

中武さん制作風景
〈制作風景〉

中学のとき長曽我部徹(当時 美術教諭)に出会い、授業の なかで身の回りの植物を描き 始めた。主にクレパス、とき にはペンや筆ペンを使用して 植物や人物を描く。モティー フを変容させて画面に敷き詰 めるように描き、躍動感と安 定感が両立された画面構成が 特徴。色の選択についてもモ ティーフの細かな特徴は中武 なりの色彩感覚で大胆に変換 される。

※以下の文章は、「滋賀県アール・ブリュット全国作品調査研究」令和2年度報告書から抜粋したものです。

 調査へ伺った日、中武は手に載るほどの小さな花瓶に生けた草花を、B1サイズの大きな紙に画面いっぱい描いていた。モティーフは、人物・身の回りのもの・動物・風景となんでも描くが、草花は13歳のときから繰り返し描き続けており、のびのびとした線は変わらず当時のままである。一方で、画面上でのバランスのよい配色や、ぎゅっぎゅっと色を塗り込める力強さは、年々増している。
 中武は支援学校卒業後にアートステーションどんこやに通い始めた。毎日顔馴染みと言葉を交わし、ときには彼らの制作するものに刺激や影響を受ける。どんこやは中武にとって“生活する場所”といえる。来客があれば似顔絵をささっと描きあげる。生活のなかに自然に絵を描く行為があるのだ。また、中学時代の美術教諭の自宅に週1回通い、主に季節の植物をモティーフに描く。草花を描く中武は、まずそれを生けている花瓶のアウトラインを描くことから始める。ちらりちらりとモティーフに目を落とす。クレパスを握る中武の腕が唐突に、花瓶のなかを起点に天まで伸びる。圧倒的なスピードである。その力強さからクレパスの屑がパラパラと床に落ちるほどだ。次に、伸びた茎から葉が生える。そして花の輪郭を描き、花びらを塗る。まるで草花が成長する過程を追いかけるように画面が埋まっていく。
 時折、聞こえるか聞こえないかほどの、小さな鼻歌を中武は歌う。アトリエには、元美術教諭の選んだ音楽が流れる。この日はクラシックだった。描き始めの筆のタッチはやや硬いが、制作時間の経過とともに中武の緊張が解け、筆は縦横無尽に駆け巡りはじめる。やがて、中武の身体と同じくらい大きな紙は、その面積が狭く感じるほどに描きこまれる。いびつな形の隙間が発生すると、中武は余白ぎりぎりに葉や花を当て込む。画面いっぱいに草花が生い茂ったことを実感したように、中武は今日の日付とsuguruというサインを黒のクレパスで描き、制作を終える。中武は、制作を終えるタイミングやモティーフの選択、紙の色の選択などには決断に時間を要する。温厚な性格から周囲の人に決断を委ねたい素振りもある。一方で、すべての条件が決まると、描写への迷いは微塵も感じさせない。長年の制作のなかで、自身で決断する事柄や頻度は増えてきている。周囲が彼の意思を尊重することで、昨日より今日と、中武らしい表現が構築されてきたのだろう。中武は、どんなに小さなモティーフも主役として描く。その行為は、葉や花のフォルムの美しさ、茎の曲線の美しさを、中武自身が確認しているかのようである。小さな命から中武が感じる、溢れかえり吹き出す生命の力が眩い。(青井美保/高鍋町美術館学芸員)

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