NO-MA ARCHIVE(ノマ アーカイヴ)

作品調査

佐藤 葉月SATO Haduki

1984年生まれ 新潟県在住

《オーラ なんて禍々しいオーラだ。》

2022年 393×545 画用紙、油性ペン、水性ボールペン

《タコの血 タコの血が青いのは人間で言う鉄の 変わりが銅だからだそうです。》

2020年 210×297 上質紙、水性マーカー

《巡る 一番恐いのは止まる事》

2020年 300×300 上質紙、水性マーカー

《釣った魚 「釣った魚にエサをあげない」とか 言ってると熟年離婚されますよ!》

2022年 100×148 上質紙、水性ボールペン

※以下の文章は、「滋賀県アール・ブリュット全国作品調査研究」令和4年度報告書から抜粋したものです。

 「これは本当に起きていることなのか?実は夢で、本当の自分はまだ引きこもりのままなのでは?と思うことがある。」と佐藤は言う。
 特に絵を描くのが好きというわけではなかった。中学校は部活動への所属義務があったため、仕方なく美術部に入部したが、結局黒一色の暗い一点しか描かず行かなくなった。高校卒業後仕事に就いたが、苦しい就労環境にパニック症状が出て自ら精神科を受診。その後幻聴、妄想などの症状を発症。統合失調症と診断された。23歳で離職し自宅で一日を過ごすようになった。引きこもりの日々が長引き、外出は病院と本屋のみ。「この生きづらさはなんやろ。」
 そんな佐藤が絵を描き始めたのは、32歳。ASD、自閉症スペクトラムと診断された時だった。思いがけず清々しい気持ちに包まれた。努力不足だけではないとわかったことで、はじめて自分を認めることが出来た。いつもの本屋に立ち寄ると、目に留まったスケッチブックを購入し、青色のマンダラ調の絵を3枚描いてみた。そのままSNSにアップしたら「こんな表紙のノートがほしい」との反応が返ってきた。新鮮な喜びを感じはしたが一過性のもので、再び同様の生活が数カ月続いたが少しずつ作品を描くことはできていた。最初は青色のみを使用。くねくねと手を動かして、丸を描いているのが楽しい。何もかも忘れられる。そんな中、テレビ番組で「アール・ブリュット」という言葉や、「魲万里絵」の作品を知った。彼女の活動や生き方に共感し、あこがれの存在となった。続けて耳に入ってきたのは、地元でワークショップが開かれるという情報だった。すぐに主催者を調べて、新潟アール・ブリュット・サポートセンター(以下NASC)に問い合わせた。自身も絵を描くことを伝えたところ、近々開催される対話型鑑賞会や写真撮影などを学ぶワークショップに誘われた。そこではじめて作品を人に見せた。知らない人と話すのは久しぶりだったが、作品を認め合う雰囲気が心地よく、大きな安堵感を得た。さらに作家やその家族、施設職員などで企画・展示をする「もちより展」では、その準備に取り組んだ。会話はしどろもどろであったが、絵を介しての交流だったことが助けになっていた。気が付けば仲間と呼べる友人ができ、毎日絵を描くようになっていた。ここに至るには、立ち止まっていた時も無理強いせずに愛情をもって見守ってくれた父の存在が大きい。中学校の恩師からは「描いてる?描きなよ!飾りなよ!」と言われ、師が経営するギャラリーで小さな個展を開催することになった。以前なら迷惑と感じることも嬉しく、背中を押してくれた。また、2020年には展覧会の特設ショップでの店番をNASCからお願いされ、アートに関わる方法が様々であることを知った。そして現在、佐藤はNASCが運営する障害のある方や地域の方のアートグッズを扱う「ふふふのお店」の店長を任されている。公開制作しながらの店番だが、忙しくて描く時間がないことが多いことも喜びで、ずっと絵を描き続けたい!色んな所で発表したい!とますます意欲的だ。そしてここで、冒頭の言葉となる。
 佐藤の作品はエンドレスのリズムをもつ、曲線を多用した模様の集合体である。下書きなしで衝動に任せて描く模様には、佐藤自身も気が付いてない気持ちが反映されているように思える。それは一見関係のない即興詩のような言葉を題名にして完成させる行為からも伺える。その題名は画面から発想された後付けの言葉ではあるが、本人の潜在意識を顕在化し作品のこの世界での存在意義を補完するための創作工程になくてはならない行為である。怖くもあり、ユーモラスでもあり、生々しい場所に引き戻されるようなスリルもある。この作品はデザインではなく佐藤の心象風景なのだ。
 また、佐藤が代表的作家に触発され、アート活動にのめりこんだことはごく自然なことではあるが、障害者の芸術が、かつてのお手本がない時代の独創的表現の発見相次ぐ状況から、代表的作品の影響や刺激から個性的表現を磨く創作が普通に観られる状況へ変化したことに気づかされ、且つこれまでの多くの方の活動支援、啓蒙や普及の取り組みの成果を見た気がし感慨深い。そして、中間支援による働きかけや言葉がきっかけとなり、最終的には自身の力で表現を醸成させ、地域における魅力発信の担い手と育っていることも、障害者の芸術文化活動への支援事業の成果の一つとして特筆に値する。(米田 昌功/アートNPO工房COCOPELLI代表)

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