
作品調査
島 雄介SHIMA Yusuke
1991年生まれ 富山県在住
※以下の文章は、滋賀県アール・ブリュット全国作品調査研究令和7年度報告書から抜粋したものです。
色鉛筆を手に、丹念に細やかに手を動かしながらスケッチブックを埋めてゆく。脳裏に浮かんでいる景色と自分が静かに一体化している姿だ。色はステンドグラスのように光を含み、空の青、飛行機の青、ガラス戸の青、一つ青でもズレなくピタリとそれ自身が持つ青を言い当ててゆく。最後に重みを吹き込むように、これも色鉛筆で黒い輪郭を描き込んで仕上がりとなる。
雄介さんは家族と一緒に年に1、2度ほど旅行にでかける。日本中あちこちをめぐり、たくさんの景色に出会う。見た景色が雄介さんの頭の中におそらく大量にストックされていて、家に帰って来てから記憶のままに絵を描く。その場で見ながらは描かない。写真も見ない。「記憶が消えないうちに!」と急ぐ様子もなく、家の食卓で楽しみながら、見えない線をなぞるように丁寧に描くのだ。
雄介さんの母親は、雄介さんが絵を描き始めると、「ここを描くんだ」といつも驚くそうだ。一緒に出掛けている時には、どこが絵になるのか全く予想ができないほどに、雄介さんが景色をじっくり見つめて考えている様子は微塵もない。にもかかわらず、描かれている建物の配置は実物通りで、飛行機や電車などの描写も緻密だ。
ある時、描き終わった風景画の横に左右にもう一枚ずつ画用紙を置いてみたことがあった。すると続きが描き始められ両脇に景色が広がっていった。小学生の頃には8畳間いっぱいにプラレールを敷き詰めて巨大な街を作っていたことから、潜在的な空間を捉える力が絵に生きているのだろう。
雄介さんが絵を描き始めたきっかけは、祖父が韓国旅行のお土産にクレヨンを買ってきたことだった。雄介さんはクレヨンで食卓に思い切り絵を描き始めた。幸運なことにそのクレヨンは水性だったので、台ふきんで拭けばテーブルはすぐにきれいになった。おかげで雄介さんは小学校から帰ってくると毎日思い切り食卓に絵を描くことができたし、家族もちゃんと毎日食卓で食事をすることができた。
中学生になり部活動を選ぶ時に、運動が得意ではなかった雄介さんは美術部に入った。周りの生徒たちは油絵の具を使っていたが、美術部の先生は雄介さんの服が汚れないように色鉛筆を勧めた。これが色鉛筆との出会いだった。丹念に色が重ねられ、独自の繊細さを表現できる色鉛筆は、雄介さんに優しく沿ういい友達となった。
高校でも美術部に入り色鉛筆を中心に制作をした。現在は障害者アート工房ココペリに所属しながら、主に仕事のない日に自宅で絵を描いている。雄介さんは色彩感覚と丁寧さが見込まれて、近くのスーパーでお寿司をパックに詰める仕事を任されている。
これまで描き溜めた作品は四つ切サイズのスケッチブックで45冊。またアート工房ココペリで制作をする際、ポスターサイズやそれ以上の大きな作品に挑戦したことがきっかけで、大作も120点ばかり描いている。
スケッチブックを開けば何年前にどこへ行き何をしたのか記録がよみがえり家族で話が尽きない。旅行記のような日記のような、家族にとってはかけがえのない役割を果たしている。
(土居彩子)

