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作品調査

篠村 利治SHINOMURA Toshiharu

1942-2022年 宮崎県出身

図1 《車》

制作年不詳 7.5×15×7 陶土薬

図2 《車》

制作年不詳 20×27×13 陶土、釉薬

図2の人物造形部分を拡大

図3 「宮崎アーティストファイル シンプル展」

展示風景 (2018年)

図4

あかしあ台美術館での作品保管の様子

図5

篠村が過ごした部屋(一部)

※以下の文章は、「滋賀県アール・ブリュット全国作品調査研究」令和5年度報告書から抜粋したものです。

 1979年、篠村は宮崎県日南市に開所したばかりのつよし寮に入所した。入所当時から篠村の制作支援を行った元施設長の加藤信由は退職後自身で工房赤い面を営み、晩年まで篠村との交流を続けた。篠村はつよし寮での制作はもちろん、週に一度のペースで工房にも通い精力的に制作に取り組んだ。制作は、家族のように長い月日を過ごす人たちとの、喜びに満ちた時間だったようだ。
 多くの入所者が陶芸に触れる機会を持ったが、篠村の集中力は抜きん出ていた。初期は器や人物像を手掛け、生涯でもっとも多く手掛けたのが車をモチーフとした作品である。焼成や釉掛けは、加藤を中心に支援者が行った。
 車の作品に力を入れた起因として、1995年から数回施設で旅行に訪れた東京ディズニーランドがある。もとより車が好きで、初めは小さな車(図1)をつくっていた篠村は、パレード車の華やかな様子に惹き込まれ、徐々に大きく趣向を凝らした車(図2)へと展開していった。乗っている人物たちは、散り散りに座りながら、一様に興味深そうに外を見上げている。感情を受けとりにくい表情だが、それゆえに賑やかさと静寂の双方を受けとれる。
 篠村は時間があればずっと車を作り続けるほど制作に夢中で、寒い冬の夜も、どしゃぶりの雨の日も、ひとり工房へ向かった。制作は即興的で、ワゴン車、オープンカー…、と形を変えながら作り込み、作品が完成したときには支援者の感想を求めた。
 筆者は篠村の生前に、一度だけ展覧会へ招聘している。宮崎県在住の若手アーティストを中心に6名を招聘した、「宮崎アーティストファイル シンプル展」(2018年)である。会場では扇形の台の上に、地面を走る車のイメージで20点の篠村作品を展示した(図3)。筆者は今回の調査で、“山の中を散歩していると車が空を飛んでいるように見える”(宮崎日日新聞・2016年7月27日10面)と篠村が発言した記事を見つけた。
 最後にお会いしたのは2020年で、筆者は工房・赤い面に所属する別の作家取材で訪れた。3時間ほど制作に取り組み、穏やかでくつろいだ雰囲気が漂っていた。制作後の休憩時に、軒先でおいしそうに煙草を吸っている様子が、今でも目に焼き付いている。
 篠村の訃報を聞き、久しぶりにつよし寮を訪ねた。人里離れたその施設の丘の上、見晴らしのよい高台に、「あかしあ台美術館」という小さな美術館があり、篠村の作品はここで大切に保管されている(図4)。その美術館の近くには小さな小屋がある。篠村は入所者たちが家族の元へ帰る週末に、気ままにこの小屋で過ごした。主が居なくなった部屋の冷蔵庫の上(図5)には、赤いクラシックカーのブリキの玩具があった。小屋の周囲は見晴らしがよく、遠く山々の稜線まで見渡せ、大きな空が広がっている。そこにはきっと、しんとした冬の―車が飛んでいる—空を眺めながら、一人煙草を吸う篠村の姿があったはずだ。(青井美保/高鍋町美術館学芸員)

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