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鈴木かよ子さん

作品調査

鈴木 かよ子SUZUKI Kayoko

1958年生まれ 長野県在住

鈴木かよ子作品01
≪私≫

制作年不詳 70~95×95~135 色鉛筆、紙

鈴木かよ子作品02裏面

裏面

鈴木かよ子作品保管

主に後年の作品が保管されている

鈴木かよ子作品03

より若いころに描いたもの

鈴木かよ子作品04

後年の作品

※以下の文章は、「滋賀県アール・ブリュット全国作品調査研究」令和3年度報告書から抜粋したものです。

 「少女」、「花」、「太陽」--鈴木かよ子は、同じモチーフ、同じ構図の絵を描き続けてきた。この少女が誰なのか、
作家本人からの直接的言及はないが、絵のとなりに「すずき」と書かれていることから、まず、自画像とみて間違いないだろう。彼女が暮らす障害者支援施設の支援者によれば、7歳から60歳くらいまで、この絵を描き続けたという。穏やかな色調や、少女の柔和な表情、また繰り返しに垣間見る律儀さは、支援者の言葉では「鈴木さんのお人柄をよく表している」という。
 まずは、絵の構成要素を見ていきたい。面積的にも位置的にも最も中心的なのは、自画像とみられる少女である。おかっぱの髪型、エプロンのように描かれる衣服、翼のような手などの形状が特徴的である。花には2種類の描きわけがあり、渦を巻くのはたんぽぽ、葉と花の描きわけがあるのはチューリップである。なお、後年には、たんぽぽの登場頻度は減少し、チューリップが多く描かれるようになっていく。画面の左上には太陽が描かれている。また、絵は裏面にも描かれるが、ここには少女は不在であるから、自分を登場させるのは、1枚につき1人という決まりがあることが読み取れる。色調は暖色系統でまとめられ、作品ごとの配色もほぼ毎回同じである。こうしたルールに基づいた絵が何度も繰り返されてきたところに、鈴木の常同的な志向、換言すれば丁寧さ、律義さが見て取れる。
 また、支援者は、この絵に登場する「少女」「花」「太陽」以外の画題を描いているのを見たことがないとも語った。このことから、鈴木にとってこの絵は、数あるバリエーションの1つではなく、他に代替する選択肢のない「絵そのもの」としてあると考えるべきであろう。
 こうした絵は、鈴木が施設に入所した7歳の時にはすでに描いていたといい、とても幼い時期に身に付けた習慣であることが分かる。幼少期に獲得した主題や画法だからであろうか、彼女の絵は、少ない要素で簡潔に構成されており、決して複雑な表現とはいえない。しかしながら、その主題と画法のミニマムさこそは、何十年と繰り返し描かれるに耐え得る強度であったともいえるだろう。
 後年の絵からは、加齢による体力低下、とりわけ視力の減退により、線がうまく弾けず、塗もはみ出し、像がまとまらなくなっていく様子が伝わってくる。しかしながら、どれだけ線が揺れ、少女がぼやけても、引かれる線の本数や塗分けなどの規則性が不変であることもまた読み取れる。たとえ手や目が追い付かずとも、この表現が彼女の内奥に浸透していたということであろう。とはいえ、人生の大半をともにした絵を上手く描けなくなった鈴木の胸中は想像を絶するものがあるし、こうした衰えのせいか、現在では、すっかり描くことはやめてしまった。
 鈴木は7歳で入所し、還暦を超えた今でも同じ施設に暮らしている。少女から大人にかけての自己形成を、またその後の壮年を、あるいは老いのはじまりを、彼女はある種の限られた空間・社会に身を置き続けて経験してきている。そうした環境において彼女は幾度となく、この絵を描くことを繰り返したのである。それは単なる落書きや手癖、日課とは一線を画す営みだと想像する。「陽光に照らされ、花に囲まれ、ほほ笑むわたし」の絵の、永久的反復は、自身が暮らす均質的な空間・社会において、自らの手で「世界と自己」を表し続けた痕跡でもある。(山田創/ボーダレス・アートミュージアムNO-MA学芸員【執筆当時】)

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